2002-07-29

悲しいことですね     NO 148

毎日、暗いニュースが新聞、テレビで報道されている。交通事故、水辺の事故、自殺、殺人事件など、全国で悲しい通夜と葬儀が行われている。

 我々日本トータライフ協会のメンバー掲示板では、「こんな悲しい葬儀がありました」「こんな配慮を差し上げたら感謝されました」という情報が交わされており、日々に研鑽ということにつながり、メンバーにとって本当に宝の世界となっている。

 最近に多い話題は、やはり冒頭にある葬儀。仕事とは言え、本音からすると担当したくないケースも多い。

 わが国での自殺者は、年間で約3万人。最近に多い不況型もあるだろうが、若い人達から高齢者までが、自らの命を断ってしまうことは真に残念なことである。

 幼い子供と奥さんを残し、「リストラでローンを抱え、もう疲れた。許してください」との書き置きで、自殺をされてしまったことがあったが、勝手過ぎる話で遺族のことを慮ると怒りが込み上げてくる。

  世の中には、不幸な人がいっぱいおられる。信じられない環境に置かれている人もいる。なのに勝手に悲劇の主人公になってしまい死を選ぶ。それは最大の犯罪 行為であるように思えてならないところで、そんな悲しい葬儀を何度も体験する私達は、自殺や犯罪を誰よりも憎んでいる。

 ある葬儀で、導師をつとめられたお寺様と激論を交わしたことがある。そのお寺様の年齢は40代の前半。若い女性が自殺をされたというお通夜の法話で、自殺の愚かさについて強烈に説教をされたのである。

 遺族のご心中を察すれば、それがどんなに辛くて苦しい時間であるか想像出来るだろう。

宗教者は、葬儀の場では悲しみをご理解されることを願って止まないところだ。

  檀家さんの家族が自殺をされた。宗教者として、お寺と檀家というコミュニケーションが結ばれていれば、ひょっとして救うことが出来たかも知れない筈。それ がただ導師という立場だけで高圧的に説かれた一方通行の法話。それは、宗教者としては、失格の烙印を押されても仕方がないと思っている。

 私が激論を交わしたのは、ご遺族からの衝撃と怒りのお声があったことを伝えたことからで、「自殺は悪いこと。それを説教してどこがいけないのだ」と開き直られたことに発端があった。

 相手は宗教者であるが、年齢は私の方が少し上。控え室でのやりとりの終いには、「あなたは導師か、それとも宗教者か?」というきつい言葉まで発してしまった。

  次の日の葬儀。お寺様の人数はお2人。お通夜に来られていた僧侶のお父様が導師として入られた。どうやら、私とのやりとりを逐一報告されたようで、そのご 老僧は、「私が遺族に謝罪をします。そして、あなたにも感謝します。よくぞ教導くださった」とおっしゃられ、恐縮この上ないひとときとなった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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