2006-03-31
退院に向かって NO 1462
予想もしなかったほど多くの方々からお見舞いをいただき恐縮、退院してからの御礼も考えなければならない状況。動き始めたメール対応も大変だが、そんな中、昨年に大きな手術をされた人物から術後の苦労話を頂戴し、大変参考になって感謝をしている。
午後から造影剤でのCT撮影、もう車椅子の世話にならず、自分で一階まで行って来た。
術後二日目ぐらいから出来るだけ立つように努力してきた。最初はフラフラして<立つことって、こんなに大変なこと!>と衝撃を受けたが、今や少し前屈みになりながら歩いている。
病棟の廊下を一周してくると、ちょうど300歩の距離になる。通常時の半分程度の歩幅でしか無理だが、今日は1000歩を少しオーバーすることになった。
患者さん達が集われる憩いのコーナーがあるが、そこを歩いていたら座っていた女性に腕を?まれ「あなた、どうしたの!?」と言われてびっくりした。彼女は 地域の女性部長をされていたお方、救急車で緊急入院されたと伺ったが、互いが知り得た食生活の智恵について有意義な会話に進展が。
夕方、担当主治医であるT先生が来室、CTの結果を教えてくださった。「問題なし。退院近しです」とのお言葉を耳に安堵した。
若いがしっかりされた先生、患者や家族が納得に至る説得力があり中々の人物、「お陰様で、有り難う」と手を合わせたが、38針も縫ったと耳にして改めて寒くなった。
手術スタッフのお一人で、日に1回は「調子は如何かな?」と来室くださる女医さんの存在に心が和らいで感謝をしていることもしたためておこう。
俳優の浅野温子さんを少しポッチャリさせたイメージのY先生、聴診器を腹部に当て「うん、うん」と頷かれながら「順調です」のお言葉が何よりの励ましパワーに。妻もそうだが見舞いの方々の人気も高い。
日々にチューブが少なくなり、点滴の数が減少していく。術後5日目ぐらいから粥を中心とした食事が始まり、やがて全ての点滴が終わったのが4日前。そこで初めて人間的な思いを感じることに。
窓の外にぽっかりと雲が浮かんでいる。ビルの合間から見える大阪城の天守閣、ふと大阪城公園の桜の情景が浮かんでくる。
そんな環境の中、過日に頂戴した1枚の表彰状に涙した。小さな筒に納められたかわいいものだが、発行人は久世栄三郎健康推進委員会。大手術に耐えたこと、そしてこれからの余生を有意義にという内容が綴られてあって合掌を。
来室される看護師さん達から「順調ですね」と声を掛けられる。中には「若いからですね」なんて予想外の言葉もあった。
この病気で自分から覚悟を決めて手術を受けることは希だそう。だから「若い」という表現になったのだろうが、正直に言って50代で手術を受けて正解だっ た。こんな手術を65歳や70歳で受けたら想像を絶する世界だろうし、何よりそれまでに「破裂」してしまったら「さようなら」である。
明日から2000歩、3000歩に挑戦する。それに合わせて発声練習もスタートしなければならない。腹筋が弱っていると伝達パワーが著しく低下する。今日、偶然に発声法のプロが来てくださった。ラテン歌手の西川慶さんだが、ちょっと裏技を教えて貰ったので実行する。