2009-11-24

生かされて  NO 2590


 しばらく休載していたら「大丈夫なのですか?」と心配くださるメールや電話煮に恐縮。調子の悪い右目を休めるために休載しており、体調に関しては歩く努力を勤しんでいるのでご安心を。 

 森繁久弥さんがご逝去された日、この「独り言」で国民栄誉賞について触れたが、今日、官房長官がその方針について動いたというニュースが報じられていた。

 舟木一夫さんの高校三年生の作詞を担当された「丘 灯至夫」さんが享年92歳でご逝去されたそうだが、大ヒットしたのは私の高校一年生時代で懐かしい思い。丘さんは「高原列車は行く」などお歌謡曲の他にアニメ「みなしごハッチ」の作詞をされて知られていた。

 昨日、友人の紹介でカイロの施術を受けに行ってきた。骨盤や頚部の骨がずれているようで、左足が右に比べて2センチほど短くなっていると指摘されてびっくり、金属の治療器で骨の出っ張りをゴツゴツと叩かれて何やら気分的によくなったみたい。

 帰宅してからいつもより早めに真向かいの銭湯へ。ウコンと生姜エキスの入った温めの湯から電気風呂に移ってビリビリ。その後に身体を洗っているとか顔馴染みの常連さんが
「背中を流しましょう」と言葉を掛けてくださったが、丁重に遠慮申し上げた。

  同じ病で入院されていた知人が退院されたが、日常生活は家族の介護がなければ無理な状態。それに比較したら私の場合は幸運そのもの。本当に奇跡という言葉 しか思いつかないほど。振り返ればこれまでの人生には「奇跡」と考えるべきことがいっぱいあり、故に誰よりも「生かされている」考え方が強いのである。

「あ なたは生きているのですか、それとも生かされているのですか?」というような詩を愚著「お葬式春夏秋冬」に書いたのは30年ほど前のことだが、「生かされ ている」考えに併せて思うのは感謝をすること。そして多くの素晴らしい人との出会いに合掌する日々を過ごすことである。

 前号で触れた享年100歳の方のご葬儀だが、喪主様の謝辞のお言葉の中で明治、大正、昭和、平成と四代の帝の下で生き抜かれたことがご本人のご自慢だったと伺い、参列された方々が頷かれていたのが印象的だった。

 92歳まで30年、100歳までなら38年もと考えれば羨ましい限りだが、これから
どれだけ「生かされる」か不明な中、後悔しない使命だけはと考えながら、車を運転したり乗せて貰うことが可能になる日の訪れを願っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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