2015-02-09
思い出した昔のこと NO 4099
多くの司会者に指導して来たことに、間違ってはいけないことは「書いて読め」というのがあったが、考えてみれば間違って書いてしまったら大変である。ここでも「勝手な思い込み」から生じるヒューマンエラーが多いので気を付けたい。
前号で碁盤のことに触れたが、過去に書いたことをもう一度書いておこう。碁盤で最も高価な物は「榧(かや)」盤だが、板目や柾目という区別もあるが、過去に3000万円という代物を見たこともあるし、碁石の白石が一つ8万円というのを目にしてびっくりしたことがある。
確か180個以上あった筈なので大変な金額になるが、それに比べて黒石が安かったので印象に残っている。
前号で碁盤の足が「クチナシ」と書いていたが、囲碁で刃傷事件となって知られるのが
江戸時代の「水野忠胤」の屋敷で行われていた宴での出来事。「久米佐平次」と「服部半八郎」が対局中、勝敗のいざこざで口論に発展し、その原因が「服部半八郎」と懇意だった松平忠頼」が横から口を挟んだからとも言われ、仲裁に入った「松平忠頼」を「久米佐平次」が刃傷から殺害する事件になってしまった。
当時の幕府はこの事件が起きた屋敷の主である「水野家」にも重い責任を負わした史実がある。
さて、いつも上部の<HOME>でリンクをしている「幸せ列車」だが、管理人さんのコラムにネクタイの結び方について分かり易い図式入りで紹介されていた。何と16種類もあるのだから驚きだが、初めてネクタイを見に付けた時のことを懐かしく思い出した。
青春時代は「ⅤAN」「と「JUN」などが流行し、特に人気が高かったのは「アイビールック」で、短めの綿の短パンにバッグを抱えるスタイルが何処でも見られた。
ネクタイをするというのはフォーマルなスタイルで、その後に流行した映画「007」の影響からアタッシュケースやステッキタイプの細い傘を手にする時にスーツを着用するケースがあったが、秋から冬までは三つ揃えが多かったようである。
アイビールックで象徴的だったのはボタンダウンのカッターシャツで、様々な柄が販売されていたが、当時はカッターシャツの襟にも多くの種類があり、洒落た人達は他人と異なる服装をしていた。
シューズも「バスケ」と呼ばれるバスケットシューズが潮流で、男子専科の服飾店舗にはシューズも置かれていたことを憶えている。
当時の友人にオシャレに拘る人物がいた。同年だった彼は歌手の「布施明さん」の大ファンで、テレビで観た服装をいつも真似するために探すほどで、友人仲間から「布施明」というニックネームで呼ばれていた。
昨日からの冷え込みが厳しい。全国的に荒れ模様だが、大阪も風が強いので体感温度が低い。手袋とマフラーがなければ外は歩けないぐらいの寒さ。友人夫妻に誘われ夕食のひとときを外食で過ごしたが、久し振りに立ち寄った店で美味しい世界を再認識することになった。
今日のニュースの中に札幌の」雪まつり」の雪像7作品を取り壊したことがあった。本番を迎える前に温かい日があって倒壊する恐れがあるそうで、残念なことである。
今日の写真は函館の水引アート「清雅舎」のHPから拝借。「空飛ぶ水冠」のページにあるお寺様の法具である「中啓(ちゅうけい)」。威儀具の一種とも言われ、葬儀や法要の時に目にする。「清雅舎」では創作されたオリジナル作品のアクセサリーを「KAREN」というネーミングで提案発表されるようだ。