2015-10-04
文化に接して NO 4331
シーンの会長のブログを更新したが、「次の月」というボタンを押さなくては開けられないのでどうなっているのだろうか? 北海道から大阪へ向かう機内のことを書いたが、右前方から時速300キロの偏西風が吹いているというアナウンスにびっくり。対地速度がそれだけ影響を受けるので所要時間が長くなる。
過去にハワイを往復した機内でナビの画面を見ていたら、往路は猛烈な追い風だったが復路は猛烈な向かい風。そのために所要時間が随分と異なることになるが、偏西風はハワイ諸島の近くではあまり影響がなかったことを憶えている。
過日に利用した機種だが、往路は「737-800型機」で帰路はブラジル製の76人乗りの小型機「エンブラエル170型機」。空港で大型機の横に駐機している時にびっくりするほど小さかった。
遅延することが判明してもすることがなく、しかたなくマッサージチェアのコーナーへ行ったら、誰もいないので「ラッキー!」と思ったら、コイン式で10分200円となっていた。
さて、これまでの人生で様々な世界のプロと称される人達と出会ったが、今回の北海道研修会の最終目的地であった函館で会った女性の創作された作品には驚かされた。俗に「アートフラワー」と呼ばれる世界だが、目の前に置かれた作品が全て生地選びから始まって色付けまで施され、それはまさに芸術という代物だった。
これまでに多くのアートフラワーの作品を目にしたことがあるが、彼女の技術は特別な「匠」のレベルで、彼女とペアリングを組まれた「清雅舎」の女性社長のキャスティングの凄さに改めて拍手を贈りたくなった。
弓道、香道、篆刻、篠笛など日本文化に造詣深い人物として知られ、ずっと前から取り組まれていた水引のアート作品を「かたち」にされ、イヤリング、ブレスレッド、コサージュ、ネックレスとして発表したら一気に注目を浴びているが、彼女がお母様を送られる時に準備された水引細工の「鳳凰」が話題を呼び、今、我が葬祭業で導入を検討することが増え、すでに納品されて活用されている事実も知った。
「鳳凰」は宇治の平等院にもその姿が見られるが、遠い昔の中国の伝説に登場した極楽世界に案内してくれる象徴となっており、送る人達が送られる人が極楽の世界へ旅立たれるように願ってお通夜や葬儀に供えるというコンセプトが葬儀業界の「フェア」で話題になっていた。
この現物を初めて目にした時、これは単に供えるだけではなく、その意味を説いて「奉儀」として儀式にするべきと考え、実際にアドバイスをしたら興味を抱かれた。この「奉儀」の世界は私でないと具現化不可能と自負している。これまでになかったことを「かたち」にして全国で流行したことも過去にあるが、また新しいテーマに取り組まなければならないような思いを抱いている。
葬祭業界の悪い問題として指摘したいことは「自社に出来ないこと」を否定することだが、今回に会場となったメモリアルグループの苫小牧市民斎場や室蘭市民斎場が担当している葬儀がどんなレベルにあるかを知ったら、間違いなく普通の葬儀社や互助会では不可能で、それこそ否定されることになるだろう。
しかし、そんなサービス提供を受けられたお客様や参列者は大歓迎と大賛同という事実が生じており、「感動させます」という低次元なキャッチコピーを打ち出している恥ずかしい葬儀社とは異次元の世界である。
「葬儀って何ですか?」「命って何ですか」と語り合いを始めたのは20数年前だったが、「皆が生徒」「皆が先生」で何度も開催された研修会を通じて学び合ったことが見事に具現化され、それぞれの地で開花してオンリーワン、ベストワンの葬儀社となっている。
「ご遺族から有り難うって抱きつかれた葬儀を何度体験しましたか?」「祭壇をバックにお婆ちゃんの葬儀の記録写真を撮影します。葬儀社さんも一緒に入って」と言われた葬儀が何度ありましたか?というテーマの研修会もあった。
悲しみは人を育てるというようなことを前号で書いたが、全国の悲しみのプロ達が集う研修会とは信じられない世界で、もしも初めて参加した葬儀社なら「こんな葬儀社が担当した葬儀を体感した参列者がある」と思うと、明日から恐ろしくて仕事が手に付かないことになるだろうと想像している。
今日の写真は前述の女性の創作品で、余りにも素晴らしくて妻がいただくことになったバラである。この「独り言」のトップページの胸のバラのように、女性が上着の襟に装着されるのもお洒落だろう。
そうそう、私のお気に入りの湯の川温泉「竹葉新葉亭」の売店に、彼女の水引アートの作品が展示販売されていたが、水引で製作される際に1本ずつに「これを身につけられる方に幸せが訪れますように」と祈念されている事実を知って文化の心を学んだ気がした。