2017-06-28
不思議なことに NO 7003
数日前の号でタイム・マシーンのことに触れたが、友人から電話があって「どこからあんな発想が?」と聞かれたので、自分で10年前に創作したものと答えておいた。
昨日のテレビ番組で映画「バック・トウ・ザ・フユーチャー」を府相しており、」過日の号で掲載していた「テロリアン」の車が登場していた。
シナリオの設定は昔の西部劇の時代だったが、主人公がガンマン達に囲まれた際に「クリント・イーストウッドだ」と返していたやりとりが面白かった。
さて、今日の号も「幸せ列車」の「10年前の独り言」から転載を。
声、大丈夫かな? NO 1902 2007-06-27
午前中、本社に行って会場設営の手伝い。椅子を運んでいたら腰に負担が。そこで音響と照明のセッティングに専念した。
書類棚から講演の資料を幾つか持ち出し、自宅に持ち帰って調べていたら、前にも書いたことのある随分昔の原稿があったので紹介を。
『地球が誕生したのは46億年前の頃。49億年を1年として換算すると、微生物が誕生した歴史は春の4月か5月の頃。そこから途轍もなく長い時間を掛けて進化が始まり、地球上に人間と呼ばれるような生命が誕生したのは12月31日の午後10時過ぎ、45万年前ぐらいだそうである』
『そんな人間が文化らしきものを持ったのは、1万年ぐらい前のこと。世界の代表的な宗教である仏教2500年、キリスト教2000年、イスラム教1500年と振り返れば、上述のような経緯が「宗教を信じない」という人達の根底にあるのかもしれない』
『しかし、宗教の創始者達は「発見者」であるとも言えるだろう。想像も出来ない長い歴史や宇宙観などから天地悠久の心理を見出され、それを大衆に分かり易く説いたからである』
私は、この「独り言」の中で何度も「生かされている」との考え方を披瀝してきたが、それは、広大な宇宙の存在、そして地球という大自然の中に存在するちっぽけな自身という死生観からでもあり、上述の人達が道理を極められ、生きているのではなく生かされていることを教えてくださった背景がある。
同時に気付かされたこと、それは「こういう姿で生かせていただけなければならない」という謙虚であるべき人生、それが宗教が説く「人間のあるべき姿」であり、宗教とは「よりよく生きるため、いや、生かされるための教え」となるだろう。
『生は死という同伴者を持つことによって、いよいよその輝きを増す』という言葉があるが、我々の仕事に従事しているとそれが間違いなく実感できるし、自分がこの仕事を生業とする家に生まれ、そして従事することになったこれまでの人生に手を合わす。
夕方、気になっていたお通夜の式場に行ってきた。享年102歳というお婆ちゃんだが、こんなにも素晴らしいお写真が残されていたのかというような可愛いご遺影、それをお飾り申し上げる祭壇もやさしくて可愛い感じのするデザインで、式場に入るなり喪主様から「有難う、貴社に依頼してよかったわ」と感謝のお言葉を頂戴して恐縮、何とか明日の司会を担当しようと思っている。
ご導師のご法話が素晴らしかった。何より一般の方々に分かり易く、皆さんが頷いておられたことが印象的だった。
明日は朝から大変だ。葬儀、講演に続いて一流と称される女性司会者の研修があり、夕方から大変お世話になった方のお通夜に行かなければならない。
「私の終焉の儀式は君に頼む」と何度もご指名を受け、スタッフが何度かご自宅でご本人のご希望を伺っていた。
最近、そんな事前相談がいっぱいあり、毎日<重ならないように!>と願って手を合わせている。お通夜からの帰路にお会いした知人の女性からも「まだ元気だけど。お爺ちゃん、お願いね」と頼まれた。「もう、お幾つに?」と伺ったら、「社長と同じ亥年よ。プラス36年で96歳だわ」とのこと。間違いなく100歳 を迎えられることだろう。
昨号の新聞記事ではないが、干支の一回り12年とは大きく社会が変わるもの。私の生まれた昭和22年から遡れ ば、昭和10年、大正12年、明治44年となる。私の干支の次回は72歳だが、果たしてまだ存命しているのだろうかと興味を抱く。その時、初孫が成人式と 考えるだけで<嫌われながらでもしばらくこの世で過ごすか>なんて思いが生まれてくる。
明日、忘れないように「咽喉飴」を準備しよう。
今日の写真は広島のピピの社長のブログから拝借した「サクランボ」を。友人が届けてくれたので美味しくいただいた。