2009-06-03

悲しみの裏側で  NO 2440


  いつからか知らなかったが「手紙の歌」が話題を呼んでいるそうで、その歌詞が九州の塾生のブログ「MAMADIARY」と広島の塾生のブログ「やさしさに いつでも逢える」で紹介されていたが、今日は、その歌の動画をわざわざメールで送信くださった方があり恐縮、有り難うと静に手を合わせた。

 介護を受ける立場になった人の心を描いた歌詞だが、誤解を招いたらいけないので敢えて書くと、私の現在の症状は少しの障害が残っていてもそこまでひどくはなく、まだ歌詞の心情に至ることはないのでどうぞご安心くださいますように。

 朝のSTはまあまあの声、そのまま続いてリハビリ・ルームでOTを受けたが、いつもの先生がお休み。過去に何度か担当くださった新富士駅近くご出身という先生だった。

 間もなく開港される静岡空港の話題で盛り上がったが、民家の立ち木問題で辞任した知事のこと、また、空港開港によって新幹線の新富士駅が閉鎖になるような風評も流れているそうでびっくり。彼も私も勿体ない空港という意見で一致した。

 地元の人達にとって北海道や九州便は便利で喜ばれるだろうが、果たして航空会社の採算が合うのかどうかが心配なところ。羽田や名古屋の存在からすると厳しそうな現実が待ち構えているような気がしている。

 飛行機の話題が出たところでブラジルからパリへ向かうエール・フランス航空の便が大西洋上で消息を絶ち、どうやら落雷による墜落という見方が強くなってきているようだ。

 こんな突然の不幸の発生、そんな被害者の葬儀は想像を絶する悲しみに包まれ、我々葬儀社も大変な辛苦を伴う世界に突入してしまうのである。

 航空機事故の場合、日本人は「ご遺体」の存在や「墜落現場」に強い執着心を抱かれるものだが、外国人、特に欧米社会にあっては日本的とは異質な心情が生まれるようで、その背景には宗教意識の異なりがあるようだ。

 衝撃的な内容で恐縮だが、ご遺体のないケースの葬儀は、悲しみのはっきりとした対象物の存在がなく大変。葬儀の悲しみは「思い出がなすもの」なんて抽象的な言葉は当て嵌まらず、加害者的立場となる航空会社への風当たりは想像以上に強くなるのは当然である。

 過去に様々な事故の葬儀を担当した経験があるが、悲嘆にくれられるご遺族のことを真剣に考えると、葬儀社の選択はご遺族側がされるべきで、加害者側は絶対にするべきでないと断言したい。

  例えば「**航空の依頼で参りました」なんて言葉でご遺族の家を訪問したらどうなるだろうか。我々葬儀社が怒りの対象物になってしまい、大切な人の大切な 儀式を行うにあたって、ご遺族側の思いを受け止める雰囲気が生まれることは不可能になるということをご理解いただけるだろう。

 もしも、ご遺族側からの直接依頼で参上したら、悲しみを共有する立場としての行動が可能となり、前述との違いの大きさが誰でも分かる筈である。

 昔、ある大手のタクシー会社から葬儀の依頼があった。事情を伺うと事故の加害者として葬儀を行うことになったそうだが、おかしな業者を選んだら大変ということで弊社を指名くださったというシナリオが秘められていた。

そこでアドバイスしたのが上記のことで、事故係の人が妙に納得されたので印象に残っている一方、そんな事情でお断り申し上げたその葬儀、それから1時間もしない内に、ご遺族から依頼電話が掛かってきたので忘れられない出来事。この世から事故がなくなることを願いたい。

 明日のリハビリは9時5分ST、15時15分PT、16時20分OTとなっている。

  今日の写真はゴルフの紳士的なシニア・プロとして著名な高橋勝成さんとのツー・ショット。神戸のホテルで行われたあるコンペの懇親会で同席した時のものだ が、氏は小学生だった息子さんを亡くされており、そのお慰めにと、主催者が「星名国際登録」をプレゼントする企画を進め、贈呈を私が担当させていただいた えにしがあった。
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