2009-05-24

月日は流れ  NO 2430


 最近、えにしに結ばれる知人関係のご不幸が多い。本来だったら私が司会を担当したり受付を手伝ったりしなければならないのに、こんな入院生活ではどうにもならず、真剣にリハビリに取り組みながらも焦燥感に苛まれているこの頃である。

 今日のOTの先生のイントネーションから、前にもご担当くださったことが分かった。関東の言葉遣いで「埼玉県です」に間髪入れずに「越谷でしたね?」と返すと驚かれ、「記憶がいいですね」に心の中で「頭の中は大丈夫」と思ってしまった。

 簡単な病気でなかった今回、今日も同年代のお寺様がお越し下さったが、お兄様が心臓のステント施術を受けられたと伺ってびっくり。お互いに齢を重ねた春秋だが、晋山式からのご仏縁なので特別なご仏縁に結ばれていると思っている。

 初めてお会いしたのは檀家総代さんのご自宅でご葬儀、東京から来られるお寺様方を新大阪駅にお迎えに行かれたのだが、タクシー運転手さんの勘違いからとんでもない所へ行かれておられた。

 当時は携帯電話の存在もなかったのでご当家の電話しか連絡方法はなく、開式15分前頃の式場ではスタッフがまだかまだかと心配する姿があった。

  やがてタクシーが到着したのは開式10分ほど前、50メートルほど離れたお家を「お着替え所」として拝借しており、すぐに打ち合わせに参上したら皆さんが 申し訳さそうにお着替え中。テーブルの上のお茶もそのままの状態で、これではご読経に影響がと心配になり、ちょっと僭越だったが次のように申し上げた。

「故人の生き抜かれた80年間の人生にあられては、1時間の儀式では短過ぎますし、5分や10分開式が遅れても問題ございません。どうぞ、ごゆっくりとお着替えを」

 それで室内の雰囲気が一変した。足袋を履かれていたお寺様が「お茶が飲める。有り難い」と仰ったことから、皆さんが「遅れては大変!」と、ご到着と同時にご装束を付けられ始めたことが分かった。

「改 めてお迎えの者が参ります。私は式場で本番体制を整えますので」と申し上げ、すぐにアドリブのナレーションで調整したが、そこでキーワードになったのが 「檀家総代」という言葉。その意義の説明と共に、お寺様が東京からもご来阪されたと申し上げると何の問題もなく、開式時間に遅れがあったが、如何にもそれ らしく開式の辞を申し上げて始まった。

 それは、今では懐かしい逸話となっているが、そんな体験が私を葬儀の司会者として育んでくれたと考えている。

 明日のリハビリは本番モードで、9時5分ST、10時10分PT、14時10分OTとなっている。前々からSTリハビリに於ける「発声の様子を見学したい」と興味を抱いていた女性司会者が仕事で来れなくなったが、日を改めてやって来る筈である。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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