2011-12-09

葬儀司会者の皆さんへ  NO 2777


 少し早めに銭湯へ行った。今日の温めの湯は「どくだみ」で、どくだみの他に「ビワの葉」「イチョウの葉」「クマササエキス」などの保湿剤が入っていた。

 入った時は若女将さんだったが、帰る時には番台に女将さんがおられ「ご丁寧に」と御礼の言葉を頂戴して恐縮。スタッフが何か届け物をしたようだった。

 弊社式場の西館をご利用の皆様には、提携する銭湯として「源ヶ橋温泉」と「南生野温泉」を紹介し、銭湯セットや専用チケットを準備しているが、御礼を申し上げなければならないのは当方であり、多くのお客様がお世話になっているので手を合わせている。

 どちらの銭湯も式場から直線距離なら100メートル。そんなところからその存在に<恵まれている>と心から感謝。前者は文化財として登録されている有名な銭湯だし、後者は私の自宅から近いので便利である。

 さて、この「独り言」を開いてくださる方々の中で最も多いのは、葬祭に関係する業者の皆さん。特に葬儀の司会を担当されている女性の方が多いよう。

 どこで知られたのかは不明だが、私のプライベートのメールに質問を送信されて来ることもありびっくりだが、来る人拒まずの性格なので、どんどん対応するつもりなのでご遠慮なく。

 女性司会者の指導で次のように言ったことがある。「あなたの言葉を耳にされた参列者の方々が、『姉ちゃん、そうやなあ。その通りや!』と頷かれるような文章作成を」と言うものであるが、簡単なようで難しいことなので是非挑戦して欲しい。

  ある女性司会者からの質問だが、それは、私がナレーションのキーワードとして重視している「命」と「宗教」に関することで、具体的にどういうことでしょう か?と書かれていた。そこで、ご訪問くださる司会者の皆さんに、少しだけイメージが生じるであろうフレーズをしたためておこう。

 まずは「命」だが、『紅葉は葉の命の燃焼であると言われています。遠い野や山が紅(くれない)に染まり、北国は雪の便り。何よりも人の恋しさが募り、過ぎゆきし年月(としつき)を想い懐かしむ晩秋の日、深い悲しみに出会いました』などがそうだろう。

 また、葬儀の通知状や会葬礼状などでは、非日常的なこととして、一般的には行わない「しきたり」度外視という常識?があり、冒頭に表記する季節言葉を割愛することが多いが、抵抗なく聞き易いという配慮を考えると、少しなら季節言葉を使用しても許容されるだろう。

『街は年の瀬を迎えています。人々の喜び悲しみの全てを押し流すように今年が流れゆきますが、**家の年の瀬は、深いお悲しみ中で迎えられています』

 それを耳にされた参列者が、司会者に向かって「そうやなあ」と同調されるイメージと考えていただければ理解し易いだろうが、そんな組み合わせを式のあちこちに鏤めて組み合わせて進める訳だ。

  同じ宗派でも式次第は様々。地方へ行くと、弔電の代読は導師が退場されてからとなるが、我が大阪では奇妙なことに導師の引導や表白など重要な法儀を終えた 後が大半で、いきなり『ご到着のご弔電を順不同にて代読申し上げます』では味気なく、例えば『ご導師、引導のご法儀終了でございます。ご導師のお言葉を拝 聴しながら、ご祭壇に飾られたご遺影を見つめておられますと、遠くはるかな歳月のときの流れに、大きな出来事よりも、いつも何気なく見過ごしておられた小 さなお仕草やお言葉が懐かしく蘇って参ります。そんなご心情を託されましたご弔電、順不同にて代読申し上げます』とつなげば、きっと抵抗感が薄らぐ筈であ る。

 私の進行に関する言葉は、上述のものは「司会」であり、全国から研修目的で来社される方々が衝撃を受けられるのは「司式」バージョンと呼ばれる世界であり、これだけは日本で私だけのオリジナルと自負している。

 宗教者がおられる葬儀式には進行係的な司会でもよいが、宗教者がおられない無宗教形式や、偲ぶ会、お別れの会などでは「会」を司る単なる「司会」では故人に失礼で、少なくとも「式」を司る「司式」としての意識で臨みたいと言うのが私の哲学と信念。

  それは、どんなことなのか? 弊社に来社されて体感でしか理解出来ない世界だが、「故人への語り掛け」「ご遺族への慰め」「参列者への説教的言葉」などを ベースに「命」と「死」のテーマを織り成した特殊なトークで、それらは宗教者のおられるケースでも活用可能となり、導師を担当された方から「あの言葉を書 いて欲しい。使わせて貰ってもいいかな?」なんてお言葉を何度も頂戴している事実がある。
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