2011-11-22

地震のこと  NO 2760


 一昨日の昼前、茨城県北部を震源とする震度5強の地震があった。関東に在住する孫達のことを心配した妻が電話をしたら、「ちょっとだけ強く揺れただけだから心配ないよ」と言ったそうだ。

「2718 号」で書いたが、孫に会いに行って昼食を共にしていた際、百貨店のレストラン街のある6階で地震に遭遇。「心配ないよ。震度2ぐらいだから」と言われ、帰 阪してから調べてみたら、震源地は4でも体験した地域の震度が2だったのでびっくりしたことがあったが、慣れとは恐ろしいもの。ましてや地震に慣れるとは 信じられないことである。

 昨日にも広島県三次市を震源とする大きな地震が起きていた。この近くには塾生の一人が在住するので心配したし、この時期に彼女のお母様の葬儀の司会を担当した時のことを思い出しながら改めて手を合わせた。

  過去に、九州からの帰路、山陽自動車道の広島インターを過ぎた辺りで、150メートルぐらい前を走る車が突然ふら付くような運転をしたので驚いたら、すぐ に自分の車のハンドルが取られ、ブレーキを踏んだことがあったが、それは芸予地震と命名された大きな地震に遭遇していたからだった。

<地震なんだ!>と気付いたのはトンネルの中。これで崩壊したら大変だと、アクセルを踏んで飛び出すことが出来たのでホッとしたが、トンネルが長かったら恐怖の時間となっていただろうとゾッとした。

 すぐにラジオのスイッチを入れたら、「今、広島県を中心とする強い地震がありました」と放送されたが、その5分後に広島インターから上下線が通行止めになったことを知り、少しの違いで大変なことにならずに助かったと思った出来事だった。

 地震とは本当に怖いものである。和歌山県を中心として小さな地震が頻発に起きているが、予想される南海地震の規模が小さなことを願ってしまう。

 阪神淡路大震災の時、国道43号線を走る阪神高速道路の崩壊を最初に報道したのは民放のラジオで、早朝の番組に出演するために放送局へ向かうタクシーの中で目にした光景だったそう。その人物とは後にテレビでご一緒することになるから世の中は狭いものだ。

 私は服用する薬から、絶対に目覚めることない時間なのに、あまりにも強烈な揺れから目覚め、我が家のギシギシと倒れそうな音を耳にしながら、ぶら下がる蛍光灯が天井に揺れてぶち当たる恐怖に震えていた。

<尋常じゃない!>と思い、すぐにテレビのスイッチを入れたらNHKの宮田アナウンサーがスタジオから「かなり強い地震がありました」と強張らせる表情で伝えておられた。

 すぐにスタジオ内で撮影された揺れの映像が流されたが、それは今までに見たことがない強烈な揺れ。机の上の物が飛び落ちる光景に衝撃を受けたことをはっきりと憶えている。

 高速道路が崩壊して横倒しになっている映像を目にしたのは、確か午前8時を過ぎていたと思うが、あちこちで煙が上がる画面に<これは大変だ!>と震えがきたのが強烈な印象として残っている。

  当日に司会を担当した葬儀が2軒あり、お通夜に来られていたご親戚の方々も半数程度しか来られず、スタッフの多くが出勤不可能な状態に陥り、大変な苦労を 強いられたことに参ったが、午後の葬儀で大正区の小林斎場へ向かう葬列の車が、阿倍野の近鉄百貨店前から西の信号が消えており、アウトロー状態でいつもの 5倍ぐらいの時間を要して入場したことも忘れられない。

 そうそう、ヘリコプターから実況された故「筑紫哲也」キャスターが「まるで箱根の温泉のように煙が上がっています」と言葉を滑らせ、苦情が殺到したという出来事もあった。
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