2004-10-27

運命って?  NO 956


 葬儀に出掛ける時、ふと車で外気温を確認したら12度。大阪にも冬の訪れが近いことを知り、中越地方の状況を慮る。

  通夜の前、自宅で着替えながらのテレビのニュース。幼い二人の子供と車で行方不明になったお母さんの車が発見されたそうだが、悲しくもお母さんは亡くなっ ておられたよう。余震の中で懸命に救出活動される皆さんも残念がっておられただろうが、レスキュー隊の皆さんの愛と勇気にエールを贈る。

 可愛い孫の安否を心配されるお爺ちゃん、孫さん達の名前を呼ばれ「頑張れ」「生きていてくれ」と悲痛の光景。<この世に神も仏もないのか?>と、つい心の中で叫んでしまったが、そんな中、2歳の男の子が奇跡的に救出されたというので<助かって!>と手を合わせた。

 運命とはすべて結果のよう。どこかの信号が青か赤であったら遭遇しなかっただろうし、少しの速度アップかダウンがあれば難を逃れた可能性も。犠牲者の皆さんの冥福と余震の治まりを祈念しなければ。

 通夜から戻ると冷え込みが厳しく、ついに私の部屋のストーブを点火。足元を温めながらこのコラムを打ち込んでいる。

 葬儀社とは、まるで「よろず相談所」みたい。毎日たくさんの相談事の電話がある。

 「祝典の舞台に掲げる看板制作を」「式次第の掲示ポスターを」「敬老会に椅子とテーブルを」「ゴルフコンペの案内状を」なんてことなら作業で済むが、悩み事の相談相手になるのが辛いところ。

 最近、「お寺を替えたいのですが」という相談が多いので困っている。

 初めの頃の「号」で何度か書いたが、都会では「家」と「寺」のつながりが稀薄し、最近は「当主」と「住職」という個人的関係が表面化してきているみたいで、これらはどこの葬儀社でも増えている傾向にある。

 宗教者が関係される「テレホン相談室」の存在があるが、ここでもその問題が増えているとのこと。世の中の意識変化が急速で、我々の仕事のニーズも急変してきた。

 高齢社会の到来で葬祭業が成長産業と捉えられているようだが、それこそ単純発想で「数」だけの論理。私は、宗教者も含めて完全斜陽な時代に突入していると断言したい。

 数日前、あるお寺様と「檀家であるが信者でない」という議論を交わしたが、傷の手当てや手術で解決できない病状だと訴えた。

 今、確実に社会は病んでいる。その原因が政治や教育にあるのかどうかは知らないが、心の病が増えており、その治療は宗教者の仕事である筈。それこそ「予防治療」という言葉が当て嵌まるだろう。

 あるお通夜でのお説教、「自殺が交通事故の死者より多いとのこと。えらい世の中ですね?」とおっしゃられたが、「私達宗教者の怠慢です。申し訳ありません」のお言葉に至ることはなかった。

 世の中の有様を嘆かれること、戦争を愚かと力説される宗教者さんが多いが、その憂いを「かたち」として行動される姿勢が大切。命の意味と尊さを幼児教育から始めなければ将来はなく、お寺が「仏様」の道を教える道場として社会認識されたいと願っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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