2004-09-21

イマジン  NO 920


 打ち合わせの帰路に立ち寄った喫茶店、イマジンの曲が流れていた。誰も予想しなかった凶弾で死を迎えた「ジョン・レノン」。40歳という若さが今も悲しみを募らせる。

 私の青春時代はビートルズ、彼らの曲が大好きだった。エレキ・サウンドに傾倒したのではなく、それまでなかった「旋律」に衝撃を受けたから。

 彼らのレパートリーを多くの音楽家達がフューチャー・アレンジしていた。中でもパーシー・フェイス管弦楽団の「イエスタデイ」は秀逸。初めて耳にした時<クラシック!?>の名曲と錯覚さえした。

 今でも自身でギターやピアノで演奏することもあるが、私の生涯の曲として「イマジン」と共に心に刻まれており、私の葬儀で流される献葬曲の候補でもある。

 彼の死を世界中のマスメディアがセンセーショナルに報道していたが、そんな中で「ヨーコ夫人」が新聞に掲載された全ページ広告が印象に残っている。

 その内容はファンだけではなく、多くの人々の涙を誘うものだったが、彼女の思いを綴られた文章に、深い悲しみにくれられる遺族には<意外な思いがあるものだ>と感じる部分があったのを記憶している。

 確か、夫の遺体の写真を見るよりも、生きている姿の写真を見る方が辛いということだった筈だが、当時の私にそれは理解し難いものだった。

 彼に関することで驚いたことがもうひとつあった。それは、死を迎える前年に遺言書にサインをしていたそうで、39歳で遺言という事実に、私のような凡人とは全く次元の異なる人物だったことを物語る秘められたエピソードのように思っている。

 遺言書によると通例の葬儀を行うと記されてあったそうだが、夫人の意向で葬儀を行わず祈祷を中心とした祭儀が進められ、火葬に至ったそうである。 

 セントラルパークで開催された追悼会、そこで10分間の黙祷という事実も語り草になっているが、今は遺作となった彼の曲が世界中で愛されている状況の中、イマジンの詩に込められた彼のハートを今一度考えたいものだと願っている。

 孫がアメリカに行ってから半年経った。娘婿が地中の微生物でダイオキシン問題を解決する研究をしている。人間は発達する文明の中で予想外の産物を発生させてきている。核開発の廃棄物を地中に隔離しても、影響がなくなるまで1万年の歳月が必要だそうだ。

 ジョン・レノンが「イマジン」に託した思い。共産主義的だと誹謗され、徴兵制度のある国家から中傷を受け、世界的な宗教団体から抵抗感を抱かれた歌詞が、今、世界的な悲惨な事件の度に歌われている。

平和への道、それは「今人」すべての願いでもある筈だ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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