2016-03-11

忘れてはならない日  NO 4792

戦争記念館あの大震災から5年目を迎えた。まだ行方不明の方々が2561名もおられる事実に驚きながら、関連死が3410人もあったそうなので改めて震災の恐ろしさを再認識した。

まだ避難生活を強いられている方々が17万人以上もあるそうだし、そのための公営住宅の建設が予定の半分に至っていない現実に「復興」という文字や言葉が歯痒くなるが、神仏の存在を否定する考え方をされる方も少なくないように思ってしまう。

アベノミクスは失敗だったと認め始めた総理だが、原発に関しては不可欠なような発言をしている中、高浜の3号機の停止が裁判所の仮処分判決が出て話題を集めていた。

小泉元総理の原発に関する一連の発言も注目を浴びているが、昨夜の毎日テレビの報道番組で福島原発の特集を採り上げていた中で、東電に対する官邸が要望していた内容に衝撃を覚えたが、現場の責任者として尽力された「吉田所長」の秘められた決断が今となっては英断だったように思えてならないところである。

福島原発の事故から様々な風評が流れ、各国を結ぶ国際線の便が欠航となった事実もあったし、大使館や領事館を都内から他府県に移したケースも多く、我が大阪にもスイス大使館が移って来ていた。

福島に在住していた人物が恐怖の体験話をしていた。大変な被害が発生して救助に派遣されて来た自衛隊員から「箱根より西へ避難するべき」と危険性をアドバイスされて衝撃を受けたそうだが、「水を飲むと危険」「東日本は壊滅する」なんて誤報まで流れていたこともあった。

私の孫達も関東に在住しているが、当時に生活をしていた住宅では大変だったそうで、壁側にあったピアノが部屋の中央に移動したり、冷蔵庫の扉が開いて大半が飛び出てしまったということや仏壇の上下がもうちょっとで外れる寸前だったと聞いたが、ライフラインが停止してしまったことから学校の体育館で避難生活を体験していた。

その1年後に訪れたら、まだ道路は凸凹状態というところがあちこちで見られ、屋根がブルーシートろいう家も多かったが、何より驚いたのはテレビの刑事ドラマで観るような黄色いテープで囲まれた木が多く、それが放射能の汚染数値が高いと知って大阪へ転居を考えろと話したことを憶えている。

その時にデパートの6階にあったレストランで食事をしていたら、いきなり地震に遭遇してびっくりしたら、小学校へ通い始めたばかりの孫が「お爺ちゃん、心配ないよ。震度2ぐらいだから」と笑われ、帰阪してからネットの気象庁の地震情報で確認したらその通りで震度2だったので慣れとは恐ろしいと思った。

東電の経営者の責任について問われる裁判が予定されているが、大津波が想定外ではなく想定するべきと指摘していた専門家が存在していたことも事実で、今後の成り行きが注目されるが、あんな大地震が発生しないことを願っている。

個人的な考え方として、原発は人類にあって「パンドラの箱」のような気がする。孫や曾孫に残すことで最も大切なことは空気という自然環境ではないだろうか。広島や長崎という忘れてはならない戦争の悲劇もあるが、隣国の若い独裁者が核をおもちゃにしている行動に腹立たしい思いを抱くこの頃である。

今日の写真はオーストラリのキャンベラで撮影した戦争記念館を。
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