2012-05-25

葬送と葬装  NO 2936


 今日「金曜日」は「幸せ列車」のページのメールマガジン発信日。今号のタイトルは「葬儀の服装」でマナーについて書いていた。

 家族葬が多くなあり、親を送られる喪主さんの服装も略礼服が大半となった。娘さんやお嫁さん達が和の喪服を召されることも少なくなり、昔みたいに美容院に予約手配をするサービス提供も激減の傾向だ。

 結婚指輪は許されるが、弔問や会葬に「金ぴか」は不謹慎。金のネックレスなんて最悪の姿。

スポーツ選手が契約しているからだろうが、肩が凝らないとか言う変な首輪みたいな物を目にするが、見るだけでも格好が悪いので「葬」の世界の「装」ではないので気を付けたい。

 所用で大嫌いな新快速を利用。相変わらずの130キロ運転で恐怖のひととき。幸いにして進行方向に向かって座る席があったのでよかったが、乗車しているだけで疲れるのはスピードからだろう。

 乗り継ぐ路線バスが事故渋滞で大変な遅れ。覚悟を決めて乗車したら、途中から想像以上の渋滞で参った。

「1台の駐車で泣く100台」という交通標語があったが、一車線の交互通行となれば動かなくなるのは当たり前のこと。事故の影響でどれほどの人達に迷惑が及ぶかも考えたいところ。

 帰路の大阪環状線、天井から下がっているJRの広告が目に留まった。新大阪から鹿児島中央駅まで最速で3時間42分だそう。

青春時代、西鹿児島駅から東京行きの急行「きりしま」の乗車した思い出がある。確か夕方の5時過ぎに発車して、終着の東京駅まで24時間以上を要するので、同日に同じ名称の列車が2本あるということになっていた。

 鹿児島本線経由で蒸気機関車の時代。8月の乗車だったので劣悪の乗車体験でもあった。暑いので窓を開けているのはよいが、煙突から出る煙の煤で顔が黒くなるし、トンネルに入ると同時に窓を閉める作業も大変だった。

 当時の大阪までの所要時間は16時間ぐらいで、午前9時頃に着いたと記憶している。経由する路線には単線が多く、ATSもない時代なのでタブレットの存在が重要だった。

 これは想像だが、当時の最高速度は時速80キロぐらいだっただろう。鹿児島を出て博多に着くまでに現在の新幹線なら新大阪に着いていることになる。こんな時代の到来を誰も予測しなかっただろう。

 JRの駅に掲げられた広告に「安全への考動」というのがあった。「行動」には「幸道」とも書けるではないか。新幹線には安全という神話の存在があるが、これだけは永遠に続けて欲しいテーマである。
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