2008-01-05

様々な想いに  NO 2084


 計算すると、今日も5キロ以上歩いたようで、左足の土踏まずの辺りに変な痛みが。それを庇って歩いていたら、ヤバイことに腰がジンジン。そこでちょっと早めに銭湯へ行ってきた。

 温もっての帰路、ふと思ったのが近所2軒の銭湯への「借金がないか?」ということ。弊社の式場をご利用されたお客様達の先月分の入浴料金で、明日にでも確認しなければと思っている。

 今日は地元の皆さん恒例のゴルフコンペの日だった。随分前から誘われており、初めて参加ということになっていたのだが、どうしても仕事でダメになり申し訳なくも不参加となってしまった。

 新年早々の失礼な不義理。なのに「妻を代理に」と誘っていただき恐縮。急遽参加をさせることにした。

  好天に恵まれたそうだが、遅いスタートで3組全員が戻って来たのは暗くなってからのこと。私が車を出すという予定が狂って迷惑を掛け、何かでお返しを思っ ていた頃に電話があって「会食に参加を」とお誘いくださった。そこで我が家のサイドボードの中に眠っていたシャンパンを持参して友人のレストランへ。

 頂き物だが「ドンペリ」1985年物、私が頂戴した際に<どうして!>と驚いた代物だが、新年の乾杯には最も適するだろうし、下手なゴルフで迷惑を掛けた妻のこともあって持参したらお喜びくださったようだった。

 他人への申し訳ない思いを解決するなら自身が納得することがまずは基本。そんな私の行動が「変なオジサン」の根源かも。

 さて、2日間、本物の「神道」の葬儀を担当することに。前日の遷魂式で斎主様の玉串奉奠が行われたのは開式から45分後、告別式では37分過ぎであった。

 葬儀当日に行われる「斎主告別詞」では10数分間「故人の人生」を語られる。これらは仏式の葬儀では一部の地方を除いて行われないこと。口語体ではないので理解度が少しダウンするだろうが、日本人の義務教育を受けた人なら凡そは理解可能だろう。

「厳か」という世界を感じる純日本的な告別式、参列される方々も自然な環境の中で静寂なひとときとして時間が流れている。

 奏楽の笙を担当されるのは斎主様の奥様。それこそ「貴品」を感じる美しいお方。その奏でられる音色が何より素晴らしく、ピアノなど音楽に造詣深いことを物語っておられた。

 それにしても式場である大阪市立葬祭場「やすらぎ天空館」の音響は最悪。驚くほどの設備がセッティングされているにも拘らず微調整などが無視されており、弊社が担当する場合には必ず自社でオリジナル機材を入れている。

 今日、隣接する式場で公益社さんが担当されており、司会者の方が気にならないのだろうかと同情を禁じ得なかったが、先月、私の進行を見学された司会者の方も、音響の違いをはっきりと感じたとの感想があった。

 さて、昨夜のBSで「風と共に去りぬ」を観たが、初めてこの作品を映画館で観た若かりし頃を思い出して懐かしい思いが。

 私が生まれる前に製作された作品だが、その後の技術の進歩でカラーでリニューアルされたという歴史にもびっくり、やはり映画は原作と脚本が重要だと再確認した。

 同じチャンネル、今日はジュリー・アンドリュース主演のミュージカル「サウンド・ミュージック(1965年)」だったが、これも娘と共に何度か観たことを思い出していた。

チャンネルを合わせた際、主人公のマリアが初めて感じた複雑な恋心から修道院へ戻った場面だった。そこで院長が彼女に対し「男性と神は同時に愛せるのよ」と諭し、彼女が子供達のいる派遣先に戻ったのだが、それは如何にも外国的なセリフだと感じるものだった。

 過去にも何度か書いたが、ジュリー・アンドリュースは3オクターブの声を出せる素晴らしい俳優で、私の2人の子供を連れ「メリー・ポピンズ」を観に連れて行ったこともある。

 サウンド・ミュージックが発表されてからしばらくした頃、彼女が来日し大阪のホテルでディナー・ショーが行われたが、その時のチケットが10万円。当時の物価としては驚きの金額だった。

 この作品はオーストリアが舞台となっているが、戦争の愚かさを見事に訴える反戦映画とも言えるだろう。そんなことから想像すると、映画の歴史で冷たい仕打ちを受けたチャップリンのことを忘れることが出来ないが、争いとはまさに人間の愚かさを物語る顕著な
世界と知りたいものである。

 映画、そこに何より重要なのはキャスティング。外国映画の作品を観たら、その人以外のキャスティングは考えられないという感を覚え、今は亡きオードリー・ヘプバーンやデボラ・カーのことを懐かしく思い出した。
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