2005-01-24

私的な話題ですが?  NO 1045


 パソコンの調子がおかしく、苦労して補修。そんなところから今日は、恐縮ですがプライベートなことを。

アメリカに在住する娘からのメール、いよいよ酷寒の季節を迎えているみたい。3日間空港に駐車していた車の中、積んであった1ダースのコーラの缶が凍結で破裂しており、飛び散ったコーラの液体が車内で凍っていたそう。

 出掛けたフロリダとの温度差は50度ぐらい。そんな影響からか、孫が高熱を出し救急車で病院に運んだと書いていた。

 戻って元気になり幼稚園に通い始めたそうで安堵したが、マイナス30度近い酷寒の地。「マイナス13度までなら外で遊ばせます」という幼稚園の教育方針にも驚いた。

 さて、高齢になった母から意外な昔話を聞かされ懐かしかった。5歳の頃まで生まれ育った生野区林寺の家、私は近所の家を訪問しては歌っていたそう。

 お仏壇に果物やお菓子が供えられているのを確認し、なければ歌わなかったというとんでもない悪ガキ。結構うまくて評判だったようで「歌手にしようか」なんて近所の方々で話題だったと言う。

 当時に歌っていたレパートリーは並木路子さんの「リンゴの唄」と、古賀メロディー近江敏郎さんの「湯の町エレジー」だったそうで、歌詞の意味も解らないのに<子供らしくない>選曲をしていたものだと思うが、そう言えばメロディーと歌詞を覚えているのだから本当だろう。

 中学校1年まではボーイソプラノの声、学芸会などの舞台上で何度か歌っていたことをはっきりと覚えている。

 「までは」と書いたのには訳がある。中学校2年生になる前の春休みに、突然「声変わり」をしてしまったから。

 2年生になって初めての音楽の時間、1年生の時の先生から申し送りがあったようで、いきなり名前を呼ばれピアノ伴奏で歌わされたが、先生は変わり果てた声に「!?」。耳が熱くなって泣きたい思いをした体験だった。

 現在、歌を聴くのは好きだが歌うのはダメ。なぜなら普通の人と全く異なる「キー」になっているから。カラオケならキーを変更出来るぐらいは知っているが、もっぱら聴くこととお喋りに徹している。

 私は、時折にナレーションで変な声を出す。病院での臨終時にご家族に残された故人のお言葉、それを様々な使い分けを演じて病人的な声にするのであるが、そこに「役者」的な思いはなく、取材から感知した故人の思いが自然に出てしまう不思議な現象なのである。

 私は、信じられないほど声変わりをしてしまったのは「天命」であると信じているし、葬儀の仕事で司会をする宿命であったように考えている。誰にも不可能な低い声も出せることが葬儀という世界で役立っている。

 司会のレッスンで何度か行ったコメントの発声テクニック、ドから始まって1オクターブを使い分ける不思議な発声法、それを教えてという人物には残念だがまだ出会っていない。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net