2005-10-12

長文ですが?  NO 1299


 朝から北国のご夫婦が恵贈くださったバラの花が届いた。今日は**回目の結婚記念日、この仕事に従事していると妻と子供を泣かせた思い出がいっぱい。昼夜を問わず正月もなく、約束事が不可能だったから。

 そんな葬儀社の私、記念日にも悲しい物語を書くことが許されるだろう。

 昨夜、銭湯の番台にいた奥さんと思い出話。銭湯を晩年の楽しみにしておられた独居老人の方が、独り淋しくこの世を去られた。寝耳に水のご急逝、アパートに住まれる近隣の方の発見が早かったことだけが救いだった。

 私も何度もお会いしたことがあり、隣同士に並んでシャンプーした「えにし」もあった。

 ご誕生されてから80年間、先天的に喋ること聞くことの出来なかった方だが、銭湯で自分が腰掛けておられた場所を流されて立たれるなどマナーが素晴らしく、やさしいご性格が印象に残っている。

 私が役員をしている公園があるが、毎週日曜日の清掃の日、そこに公園愛護会のメンバーでないこの方の姿が見掛けられ、誰も手の付けられることのない溝の中まで丁寧に掃除してくださっていた。

 年に一度だが、愛護会のメンバーの総意で薄謝を差し上げていたが、もうひとつ忘れられないことがある。近くに在する2箇所の地域会館で行われている葬儀、そこで、いつもお姿が見掛けられたから。

 時には焼香されることもあり、離れた場所から手を合わせているだけのこともあったが、喪主様のお気持ちから「供養」というかたちで参列者用の返礼の品をお持ち帰りいただくこともあった。

 看取られる家族の存在がなく、医師、看護師が立ち会うこともなく、ただ静かにお独りで生涯の幕を閉じ逝かれた方。今、素晴らしかったお人柄に拍手を贈りながら手を合わせている。

 私の娘と息子も幼稚園、小学校時代からこの方の存在を知っている。もちろん、スタッフ全員も葬儀の式場の出会いから存じていたが、地域の子供達の悪戯に、仕種だけで叱っておられた光景も思い出されてくる。

 看取りがなく送られる人もなかったが、地域での存在感は大きく、ご急逝を知られた誰もがご冥福を祈られたことだろう。

  私は、この方のお母様の葬儀を担当申し上げた歴史がある。もう20年以上前のことだが、確か数人のご親戚が参列されていたと記憶する。言葉で打ち合わせを することが出来ずに地域の役員さん達と一緒に進めたが、涙をいっぱい流されていたことをはっきりと覚えており、それからしばらくの間は、会う度に潤んだ表 情で頭を下げてくださっていた。

 この方の銭湯でのマナーだが、誰かが隣に座る時、必ずご自分の銭湯用具を反対側に移され、その人のために蛇口の下を湯で流しておられた。

 年々、来られる時間が遅くなり、この数ヶ月は午前0時前頃からだった。

 残念な出来事がひとつある。この方が石鹸でシャンプーをされようとした際、隣にいた私がシャンプー液を差し出したのだが気付かれなかった。その時、耳と言葉の不自由なことにもどかしさを感じた。それが心残りとなってしまった思い出に合掌申し上げる。

  さて、2階ホールは夜遅くまで多くのお客様、地元の女性会の皆さんの会合。音響システムの調整だけ済ませ途中で退社、その途中で地域の町会長ご夫妻にばっ たり、「結婚記念日だそうだな」と食事に誘われ、従兄弟さんのお店という遠方の料理屋さんで特別料理をご馳走になった。

 天然のウナギからツバメのスープまで頂戴したが、偏食の多い私にグルメは困った問題も。いっぱい「借り」をつくって戻ってきたら、また別の地域の町会長さんとばったり、近々に囲碁の勝負に来社される約束をして自宅前まで送っていただいた。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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