2004-01-03

会場変更   NO 656

今日は「ひとみ」の日だそうだ。1月3日の語呂合わせだろうが、目は大切にしたいもの。

 大規模な社葬は、日を改めて行われることが多いが、1時間半から2時間の社葬が終わり、役員や社員の皆さんとご一緒に御遺骨をお見送りするとホッとする。

 今日の写真は、そんな光景だが、この後30分ほどの間、虚脱感に襲われる。

 式場であちこち動き回る距離、ある時興味を抱いて万歩計を身に着けていて驚いたことがある。意外に高い数字が表記されたからだ。

 肉体的には足腰に疲れが集中する。それらは文化ホールや劇場のような空間ではひどく、その原因が段差のある観客席ということだろう。

 世はホテル社葬が潮流、多くのホテル葬を担当したが、水平であるのに想像以上に疲れることになり、それらは社員たちも同様の意見。その原因が「絨毯」であることを知ったのは数回体験してからだった。

 冒頭に御遺骨のことを書いたが、最近、偲ぶ会、お別れ会という形式が流行し、社葬であっても「遺骨はご遠慮ください」という信じられないホテルも存在しているし、大手のホテルが「これからの社葬は、遺族を省くべきです」と発言されたのには唖然とした。

 「参列者に飲食を振舞っていれば文句は出ません」

 料理と「もてなし」だけを売り物に考えるそんなホテルの本音というべき恐ろしい言葉、そこにはホスピタリティも礼節も吹き飛ばされてしまっている。

 ある会社の社長が亡くなられ、役員たちが社長宅で協議され、「後日にホテルで社葬を行いますので、今回は密葬ということで。会社関係は一切知らせませんので」というケースがあった。

 やがて数日経った頃、会社側が社葬の形式を決定され、会場となるホテル側との話も進められ、全国へ通知を出す寸前のことだった。

 会社側代表が了解を得るために遺族側と打ち合わせを行った際、「当日は、奥様だけお越しください」と発言したことから紛糾が勃発、それがホテル側の意見ですと伝えたから堪らない、「会場を変えてください」と鶴の一声。

 その数日後、何かのえにしで私が仲裁役として指名され、ホテルを変更して厳粛な社葬が行われた。

 遺族側のお怒りはご尤もなこと。親戚や故人の友人を無視されるなんて許せないこととおっしゃったが、私の描いた告別献花式には高い評価を頂戴した。

 「ホテルは、意外に理解していないものなんだ」とこぼされた役員さんたち、「こんな社葬だったら納得だ」と言われたお言葉が何より嬉しかった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net