2004-01-27

壁に耳あり   NO 682

今日は「国旗制定記念日」だそうだが、公立の小中学校での入学式や卒業式、国旗や国歌に関する問題が表面化することが増え、政党に始まり識者から町の人々まで議論されているようだが、それらは我が国が平和である証のような気がしている。

 今や、世の中は何でもあり。<このようにあって欲しい>という世界も一つ一つが堕落しながら崩壊の道を進んでいるように思えてならないところ。

 最近、葬儀に於ける宗教者に対する抵抗感が顕著。その被害を蒙る素晴らしい真の宗教者が気の毒で仕方がない。

 ある葬儀での出来事。初めてお会いした若い住職が通夜説教でご立派なことを言っておられる。<なかなかいいじゃないか>と思っていたら、控え室に入ってすぐに担当者が呼ばれることになった。

 しばらくして戻って来た担当者の表情が強張っている。その住職は、次のように言われたそうだ。

 「明日のお布施は幾らだ? 葬儀社として遺族に幾らと伝えているのか? 私は、最低**万円となっているから、君の方からアドバイスをするように」

 「どうします?」と困り果てた担当者、それを遺族に伝えることなく悩んでいると、世の中は悪いことは出来ないもの。襖一枚で仕切られた隣の部屋に親戚の方がおられ、すべてを耳にされていた。

 その親戚の方、すぐに葬儀委員長と相談をされ、担当者を呼びつけられた。

「葬儀屋さん、嫌な思いをされただろう。私の考えは『衣』にお布施を包む気持ちはない。住職という『人』に包みたい。そんな考え方の住職に導師を頼みたくない。今から別のお寺さんを紹介してもらえないだろうか?」

 続いて葬儀委員長がお怒りモード。「私が今から説教をしてやる。修行が足らん。さっきの説教は何だったんだ?」

 ここまで来たら止まらない。我々葬儀社ではどうにもならない問題に発展した。葬儀の場だから何事も穏便になんてことは通用しない。

 お二人は、その住職が車の所へ行かれた際、怒りの表情で次のように言われた。

 「あなたは、明日の葬儀の導師として、どれだけのお布施を包む価値があるのかお聞かせ願いたい。100万なら100万を包みますが?」

 「お布施は、お気持ちでされることですから」

 予想外の出来事に、小さな声でそう答えられた若い住職。次の日、人が変わったようになっていた。

 これでは、お寺さんの悪口になるので、結びに全く逆のお話を。

 極めて一般的なお布施をご用意された葬儀での出来事。導師の迫力ある読経や仕草に皆さんが驚嘆され、初七日法要の際「これは遺族と親戚一同の気持ちです」と、数十万円を包まれたことがあり感動した。
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