2004-09-08

反 省   NO 907


 九州のメンバーから電話があった。昨日の台風の被害を聞いたが、3箇所ある式場の中で有明海に面した第一斎場に問題が。潮の飛沫が激しく、対策として積み上げていた土嚢を超えてきたそう。

 それぞれの式場の屋根瓦にも被害があったそうだし、どでかい看板が飛ばされ、海水を原因とする自動ドアの電気ショートも発生したという。

 停電による不便があったとも聞いた。エアコン、冷蔵庫、コピー機、パソコンなど、環境から通常業務にまで多大な影響を及ぼす。看病から通夜、葬儀を迎えられたご遺族の体調不良を心配していた。

 この会社「株式会社 落合葬儀社」の後継者が発信しているコラム「もっこすかわらばん」に、次の一文が認められていた。

 『荒尾高校前の桜並木が何本も倒れていました。瓦や看板だけじゃなく、思い出さえも根こそぎ持っていった18号。悔しいけれど、自然の前に私達人間は何もすることができないのですね』

 彼はやさしい若者、身寄りの少ない方のお通夜で一緒に泊り込むこともあるそうで、今回の台風の体験が、また彼を成長させてくれるような思いがしている。

 さて、ある全国的な団体から草稿依頼の要望があった。800人規模の大会が開催されるそうで、その式典の中で物故者へ黙祷を捧げるためのナレーション。

  大きな式典で必ず行われる追悼のひとときだが、真剣に考慮されるケースは稀なこと。この部分を「本物」にするだけでどれだけ会場の雰囲気が変わるか。ここ にも「神変」というプロのソフトとノウハウが存在し、一瞬にして厳粛と緊張の世界が生まれ、会そのものの意義を高めることになる。

 それには、司会者、ナレーター、原稿、照明、音楽という総合的なシナリオづくりが大切。「ちょっと草稿を?」という世界ではないことをご理解いただきたいものだし、目で見る「文字」と耳で聞く「言葉」の違いがすべて。そこに「言霊」という意味がある。

 10分ほどで原稿を書き上げたが、私がナレーターでないと難しい原稿。<このナレーション、日本で何人が「味」として可能だろうか?>そんなことを思いながら送信した。

 恐怖の台風が去った。幸いにして私は生かされている。それは、まだ「他人の葬送を担当せよ」という天の辞令のなすことかもしれない。そして他人を送り自身が逝く日が近付いて来るもの。

 葬送という文字に「喪葬」の意味があることを再認識し、これから与えられる余生を過ごしたいと思っているが、この世に生を享け「他人が喜ぶことを何か行ったか?」「世のためになることをしたか?」を自問する今後でありたいと願っている。

 明日は滋賀県に行くが、エアコンを原因とする風邪気味。声の調子が悪くなりつつあり、ちょっとした油断に反省をしている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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