2004-09-18

空港でのハプニング パート3  NO 917


  この二日間、伊丹空港でのハプニングについて書いたが、多くの方々からメールを頂戴し、「面白い出来事だ」とか「ミス対応の参考になった」というお言葉 や、「もっと怒るべきだ」というエール?がたくさんあったのでびっくり、ここで感謝を申し上げますが、それぞれのお方への返信はなにとぞ御海容くださいま すよう。

 昨日、夜遅くに帰宅すると宅配便が届いていた。開いてみるとANAの手提げ袋で梱包され、3箱の「じゃがポックル」が入っている。

 そして封書があり、1枚のプリントで謝罪文が記載されていた。

 発信者は、全日空大阪空港旅客サービス担当課長の女性の方。うまくまとめた文章表記だが、<慣れている>という印象と共に事務的な冷たさを感じてしまった。

 封筒の中を覗くと、底の方に搭乗券の半券が入っている。私が席の確認のためにと渡していたものである。

弊社のスタッフならそのまま「裸」で入れず、やさしさと大切さが伝えられるように小さなカード入れを使用しただろう。

 記載された内容から、隣席の乗客が千歳空港で買った「すじこ」を冷やすためのビニール袋の氷が原因だったとのこと。それだったら売店に対処を求める行動と、加害者に会社として賠償請求をするところまでシナリオに描くべきで、何より再発防止が重要ではと思ってしまう。

 また、この文章は「課長」の立場に溺れてしまっている感じがする。冒頭に私と直接対応したスタッフのことも書くべきで、やりとりが把握できなかったとしても、「担当者に失礼があったことと存じますが」の言葉は不可欠。ここにマニュアル中心主義の隙間があるのでは?

末文にちょっと気に障る表記がある。次の部分だ。

  『・・・・経緯は以上のとおりでございますが、たとえ弊社での管理が困難な場所で発生したこととはいえ、ご旅行の最後に大切なお土産の品にダメージを受け られた久世様のご心情をお察しいたしますと弊社といたしましても大変心苦しく、また、当日の状況から、お客様同士のお話し合いによる解決も難しいと推察さ れますため、この度の代替のお品につきましては弊社にて手配をさせていただいた次第でございます』

 どの部分に抵抗を感じるかは受け取る 人によって異なるだろうが、客観的にこの文章を考えてみると、はっきりと自社側の「逃げ」の姿勢が見え、謝罪が形式的にしか見えてこない。謝罪とは全面的 「降伏」が最上の姿勢、それで相手を「幸福」にして怒りを鎮静させるもの。彼女がまだまだ若いなと思った謝罪文であった。

 残念なことに、濡れたパソコンバッグのことがひとことも触れられていなかった。

<ま あ、いいか?> 振り返ってみると、私の人生は「貸し」をつくっても「借り」をつくらない性格で邁進してきたみたい。それが周囲から見ると「お人好しの道 楽」のように見えていたことは否めないが、そのお陰でブレーンとして様々な業種のプロと称される方々との交流につながり、何か困ったことがあればすぐに救 助隊の役割をしてくれるキャスティングに恵まれ、何よりの財産になっている。

 怒りを表して得をすることは少ないもの。「得」より「徳」、それがモットー。スタッフに「説く」ことで「耐えることは人を育てる」なんて偉そうなことを言ってきた歴史もあり、自身の信条としてきていたから。

 そうそう、メールの中に「東京のホテルでの命に係わるハプニングって?」というご質問が多くあった。これについては「独り言」の過去ログ「2002年5月16日~19日」分をご笑覧くださいませ。
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