2004-09-29

嵐の夜に   NO 926


 また台風、お通夜が気になって式場に向かった。

 こんなケースでは弔問者の到着が早いもの。しかし開式時間はこの地域の慣習を破ることなく午後7時から。メモリアルボードも室内に。

 始まる前、まだ雨は落ちていなかった。遠くで鳴る雷の音が聞こえ、しばらくすると大粒の雨。

 弔問者席をチェックしたスタッフからの情報によると、傘をお持ちでない方が50人ぐらいおられるそう。そこで取り敢えず100本ぐらいの傘がセッティングされた。

 足を運んだ以上「私が司会を」と担当する。モニターに流れる映像を見ながら司式バージョンをするのだが、その前に<サービス?>として台風情報をマイクで伝えた。

 皆さんが耳を澄ませて聞かれている。やはり気になる情報みたいで、他府県から参列された方が心配そう。

 読経が始まり、遺族から弔問者の焼香が進められた。スタッフが出口で傘を差し出している。皆さんに手渡した傘は50本ぐらいだろうか「そのままお持ち帰りください」と申し上げると<嘘!>という表情をされる。

 「さすがに高級葬儀ね」というお言葉も頂戴したが、どんな立派な葬儀をされても、ずぶ濡れで帰られるお客様を見送るのは最悪。こんなサービスは初歩的なレベルだと考えたい。

 昨日「独り言」を休みとしてしまった。体力、精神力、その両方が最悪の日だったから。この日を忘却しないがため、敢えて打ち込まなかった心情も。

 辛い体験は、自身を強くさせる機会。耐えることは、自身を成長させる機会。そんな試練をプラスとしたい。

 私は「人」を送る仕事のプロデューサー。シナリオを描く時、帰られるお客様の後ろ姿から遡ることから始めるが、完成した時にもう一つ客観的に確認することがある。

 それは、ご遺影の立場と場所から式場内を眺めること。前に宗教者、遺族、参列者の姿が浮かぶ。そこで<ハッと>気付くことが少なくない。

 昨日、自らを遺影にして眺めたが、私の葬儀を担当するプロデューサーの顔が見えなかった。

 そんな時、天地(あめつち)に余する命をつくづくと想いから、ふと浮かんだ言葉が細川ガラシャ夫人の詩。遠い記憶で誤りがあるかも知れないが、確か次のようなものだった。

 ちりぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ

慈しみ育て来たりし庭の花 思いあるなら春を迎えよ 
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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