2004-10-14

ご仏縁に手を合わせ  NO 942


 朝からパソコンのメールを開けると、嬉しい報告が入っていた。

発信された時間は、午前0時を遥かに回っている。<お疲れなのに>と思いながら一気に拝読した。

 それは、過日に書いた高知のホテルで行われた「お別れ会」のこと。担当された「おかざき葬儀社さん」からのものだった。

 「お陰様で弊社にとっても、お客様にとっても一生思い出になるお別れ会となりました。翌日、弊社の女性スタッフが思い出して泣いておりました。その姿を見て、私もこんなよいスタッフに恵まれてと感動しました」

 そんな書き出しの長文のメール。そこにはホテル側の対応の変化も書かれてあり、開式前と閉式後の態度が天と地ほど異なったそう。

ホテルスタッフ達も感動の涙を流されたということだが、それは、彼らが人の思い出を送る儀式の空間で「参列者の一員」として溶け込む結果になったから生まれたものであり、与えられた会場空間を見事に儀式空間として「神変」させることが出来たからだと確信している。

 「いつも、こんな仕事をされているのですか?」と、音響担当のミキサーさんから言われたそうだが、弊社のスタッフ達が「君達は、いったい何者なのだ?」と問われることと同じだと思っている。

 彼女がシナリオを持参され「隠れ家」で拝見した際、<よく出来ている>と伝えたが、その時に予想していた通りの結果につながり何よりだし、支配人が施主様に「是非、当ホテルの大切な資料に」とご了解を得られた行動がすべてを物語っているような気がする。

 一方で、事務所に立ち寄ると、過日に担当させていただいた無宗教の告別献花式、喪主様から恵贈くださった宅配の品が届いていた。

 中を開けて見ると高価な栄養薬品やサプリメント類が入っており、ご丁寧な御礼状が同封されてあった。

 <よかった。お喜びくださっている!>という内容。スタッフ達に回覧させると泣き出したりウルウルしたりのオンパレード、<この連中、本当に優しい感性を持ち合わせている>と手を合わせた。

 ふと見ると、もう一枚の封筒が入っていた。表書きに「お布施」と明記されてある。それは私に対するお心遣い。「御礼」なら受け取らないことを推察され「司式者様へのお布施」と表記くださっていた。

 無宗教のご葬儀で高額な「お布施」を拝受するなんて考えられないこと。私にとって「司式」という呼称が何より嬉しく、この原稿を涙しながら打ち込んでいる。

「送る人 送られし人 世にありて 実(げ)に結ばれし 仏縁の道」・・七万歩才
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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