2006-01-25

教訓は何処に?  NO 1405


 今日、2号目の発信となる。難しい仕事で夜に出掛けるところから発信を済ませておいたが、準備していた資料が功を奏してスムーズに。お陰で早く帰宅出来たのでしたためる。

 最悪の結果を予想して真剣に取り組むこと、そこに「案ずるより生むが易し」という諺が体験出来る。それなくしてその言葉が当て嵌まらないことを何度も学んできたが、今日もそれだったことになる。

 JRの「特急やくも」の事故が報じられていた。山陰へ講演に出掛けた際に岡山から乗ったことがあるが、きつい勾配の山間部を走る単線という印象が残っている。

 降りしきる雪の中での作業中、まさか列車事故に巻き込まれるとは予想だにされなかった筈。犠牲者が出たことで、また「家族」が突然に「遺族」と呼ばれる悲しい出来事になった。

 昨秋にチーフ・パーサーを伴って車で米子市に行ったが、その時のホテル、ブライダル、葬儀に関する5時間セミナーのことを思い出し、冥福を祈りながら、その際の受講者が今回のご不幸の葬儀に係わることがあれば、私の講演内容が少しでも役立ってくれることを願っている。

 JRはもとより航空会社や電鉄会社からタクシー会社、運送会社まで、人の命に係わる仕事に従事している会社の経営姿勢が問われている。事故発生で謝罪する時のエネルギーがどれほど凄いのものかということを学ぶべきだろう。

 ふと、不謹慎なことを考えてしまった。機内や車内で急病人が発生した際、「お医者様は?」とアナウンスが流れる。今回の「特急やくも」でも被害者の中に重傷者があり、乗客の医師が活躍されたそうだが、「葬儀のプロ」が役立つケースはないのだろうか?と思うのである。

  日本の航空機が外国で事故発生から犠牲者があった際、神父、牧師、僧侶、神官などと共に葬儀社が臨時便で同行するケースがあるが、この場合、葬儀社の仕事 の大半は柩から宗教用具というハード的な準備と、ご遺体が到着された空港からご自宅までの搬送対応が中心となり、最も重要なソフト面の活用がないのが現実 のよう。

 しかし、協会のメンバー達や塾生達との研鑽の中で、こんな場合の悲しみの対応に関して、我々の経験が大いに活用出来ることも学んだような気がしてならず、そこに「悲しみのプロ」という重要な存在になるとも思ってしまうのである。

 ご遺体への対応と姿勢、そして遺族に対するフォロー、それを加害者側主体で進めてしまうところに無理があり、数日前に書いた福知山線事故の追悼式問題に至ってくると言えるだろう。

 しかし、我々葬儀社の活用にあって難しい問題がある。カウンセラーであったり悲しみのプロであっても、加害者側の手配や紹介では無理がある。少なくとも中立というシチュエーションが重要だろうし、出来たら被害者側の要請かボランティア的立場が理想だろう。

  交通機関、運送会社、タクシーなど、被害者発生を何より恐れる仕事となれば経営者は「命の教育」を重視するべきもの。従事される人達全員に「臆病」の必要 性にプロ感を抱かせるべき。それが出来れば事故の大半が防げる筈、宗教者や近所の葬儀社に講師を依頼することを勧めたい。

 人生も車の運転も、反省の範囲が限度内、後悔することのないようありたいもの。塾生達に何度も説いた「被害者になるな、加害者になるな」を忘れないで欲しいと願っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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