2006-01-23

本義を忘れずに  NO 1402


  数日前から目の調子が悪く、朝から眼科医のお世話になった。これも<老化現象の表れ?>なんて思っていたら、目の表面に小さな傷があるそうで、空気の乾 燥、暖房にパソコン画面の凝視が原因のよう。綿棒で目に触れられる瞬間に極度の恐怖感、高齢になって手術なんてことになったら全身麻酔でないと絶対に受け ないタイプと確信する。

 眼科を出ると雪が舞っていた。風も強く体感温度が低い。いつものコースを変えて生野本通り商店街を通って出勤したが、馴染みの方々の「おはよう」の声に<風邪気味?>が多く、かなり流行しているみたいで気をつけよう。

 部屋に入ると、スタッフがコンサートのシナリオを打ち上げてくれていた。暗い中でも見易い表記、そんな配慮を嬉しく感じながら、本番の日までにオリジナル部分を創作しなければならない。

 さて、今日もご来社の方が多く次々に対応、その中に不思議な「ご仏縁」を感じる人物がおられた。

 会話の中に共通する方の名前が登場、互いに「えっ!?」ということから出会いの経緯を話し合ったが、そこから予想外の展開に進み、業界に大きな変革をもたらす可能性まで話題に。

 近い将来に具現化するかもしれないが、これも葬祭業が非日常的な業界で「隙間産業」と呼ばれる現実から生まれた発想である。

「それで困っているのです」「その解決の答えがここにある」という会話、そこに至った発端は「仏様」の話題、それこそ「ご仏縁」と手を合わせた。

 この出会いは本当に不思議な廻りあい、そこに「因果」ではない「報恩」「必然」の帰結というような出来事と感じることに。

 企業秘密で書けないことが多く、ご笑覧くださった方には「?」が生まれるだろうが、変なオジサンンが「こうなる」と断言したら必ず「そうなる」歴史がいっぱいあるのでお楽しみに。

 その一つの例だが、昨年4月25日に発生したJR福知山線の悲惨な事故の時に書いた「慰霊式」のこと、昨日の新聞に私が指摘していた現実がニュースとして報じられていた。

 それは、「NO 1138号」の「加害者側が主催するべきではない」というアドバイスだが、案の定、遺族側からJRに対してその要望が強く出されてきたとのこと。

書いてからすぐに「確かにそうです」と、松山の塾生がブログで共感していたが、遺族の立場を考慮せずに形式的に進めてしまったJRの非も大きいし、設営や進行に従事した業者自身も、プロではない単なる「祭壇屋さん」ということになるだろう。

  ホテル葬の到来を18年前に予見し、業界から狂人的発想と言われた歴史もあるが、私は予見者ではなく、いつも道理を分析する客観論を提起してきただけ。葬 儀社が故人と悲しみの遺族の存在を真剣に考えるのは当たり前、それらは事故に関する慰霊式なら「原点意義」という絶対条件である筈だ。ああ、嘆かわしき 哉!改めてお気の毒の心情が。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net