2006-05-18

別れ道と分岐点  NO 1508


 今日、葬儀に関するテレビ番組を偶然に観た。我々業者が間違いなく悪いイメージで捉えられている。そんな中で「見積書」を発行する業者が極めて少ないように発言されていたが、こんな初歩の世界を採り上げる低次元なテレビの質に寂しい思い。

  また、関東の業者がプロデュースを売り物にして「趣味葬」とか呼ばれていたが、葬儀の世界に吉本のお笑いレベルはすぐに止めてと願ってしまう。演出という 表現で社葬の光景も放映されていたが、失礼な表現で恐縮だが三流芝居という世界。「葬送って?」と、もう一度原点を考えていただきたいと嘆かわしい思い。

  悪質業者と善良業者の区別が付かない業界との指摘、葬儀が非日常的なことからそう言われるが、善良な業者側の言い分には強烈な言葉があることも知って欲し いもの。それは、悪質業者に遭遇されてしまった被害者側にも少しは責任があるのでは?という思い。一生に一回限りなのにどうして真剣に業者選びをされな かったの?ということだ。

 悲しみのドサクサに紛れて悪徳行動するハイエナビジネス、確かにそんな葬儀社の存在があることも事実。被害に遭って二重に悲しまないようにされるには「事前相談」が何より安心。そんなお客様の来社が増えて来た現実は大歓迎。明日もそんな予約が入っていた。

 さて、今日の銭湯は源ヶ橋温泉。近くの商店街のオヤジさんと会って湯船談議。彼と私は同い年、ゴルフ全盛の時代に一緒に出掛けた仲間である。

  一年ほど前から「ふらつくようになった」そうで、詳しく聞いてみると検査で軽い脳梗塞が見つかったと言う。それから健康に留意するようになったようだが、 最近の日常生活からすれば問題があるみたい。そこで「血液検査をするべき」とアドバイスをしたら真剣な表情に。間違いなく今週中に病院に行くと信じてい る。

 我々団塊世代の年齢層では、何かの病気兆候があって当たり前とも聞いた。日頃の生活の証しを顕著に物語るものが血液だそうで、定期的な検査は健康のバロメーターの基本となろう。

 掛かり付けのお医者さんという言葉があるが、そんな関係の医師の存在があると心強いし、そこに自分の血液データーが残されていることは大切なこと。

「人を知るには友を見よ」なんて格言もあるが、「類は類」の諺の如く、良い医師には素晴らしい医師仲間の存在があるもの。それが寿命を大きく変えることだって考えられる。

私の場合は幸運にも自宅前に医院が存在する。そして私よりはるかに若くて有能な医師がおられる。お陰で私の寿命が間違いなく延びることに。今回の入院手術でそれらを強く感じている。

「病気と寿命は別」と何度か書いたが、そのキーワードがやはり医師の存在だろう。早期発見、早期治療が病気と健康の分かれ道、そこに寿命を教えてくれる一里塚が立っていると言えるかもしれない。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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