2006-05-25

お経から  NO 1515


 葬儀の始まる前、葬儀委員長と喪主や遺族代表を伴って宗教者控え室に参上し、挨拶をするひとときがある。

 これは独特の環境空間であり、私がプロとして重視している時間。それは「儀式空間」とも言えるだろうし、この光景を目にした塾生達が衝撃を受けていたみたいだが、体感した人にしか理解出来ない特別な重みが大切なのである。

 部屋に入る前に打ち合わせを行い「正座は大丈夫ですか?」と確認してから入室するが、委員長や喪主さん達の緊張が伝わって来る。

 葬儀が終わってから「お布施」を差し上げると「有り難う」や「ご苦労様」みたいに労力に対する報酬みたいになる。そんなところから、私は昔から葬儀の始まる前のこの時間に「お布施」を持参願っている。

 故人葬なら喪主さんから、社葬や団体葬なら委員長から手渡していただくが、受け取られたお寺様のご対応も様々。金封の表書きや裏側の金額を確認される方もあれば無造作に受け取られる方もある。

「ご丁寧に」というお言葉が多くて無難のようだが、「有り難う」の発言は布施の本義からするとおかしいだろうし、「お預かりします。当山のご本尊にお供え申し上げます」なんて仰っていただければ<有り難い>心情になるだろう。

「財法二施 功徳無量 檀波羅蜜 具足円満」というお経を唱えられ、合掌されて受け取られるお寺さんがおられるが、その姿は美しく、そこに生まれるひとときに布施の本義があるように感じている。

 このお経は「法施」と「財施」のことを「二施」と呼び、その功徳を称える教えであり、浄土宗と曹洞宗のお寺様の場合に唱えられることが多い。

 恥ずかしい話だが、若かりし頃、この「財法」をずっと「財宝」と勘違いしていて、ある時に読んだ本で初めて知った際に衝撃を受けた思い出がある。

 当時にあるお寺の催しの説教で面白いお話しがあった。布施とは「施し」であり「程を超せ」。「施与(せよ)」とも言って「もっとせよ」なんて落語調に大笑い。しかし結びは「喜捨」の意味について説かれていた。

 冠婚葬祭のアドバイザー的先生が、ある番組で「表書き」について解説され「お経料」「読経料」という発言に驚いた。そんなことを書いたら本物のお寺様なら「受け取れません」と返される失礼この上ない表記。お経に料金はないことぐらいは知って欲しいものである。

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