2006-06-10

平和の裏側で  NO 1531


 いよいよワールドカップ、開幕セレモニーを観てから打ち込んでいる。

オリンピックのような世界的な大会の開会式や閉会式に興味を覚える。<どんなプロデュースが!?>と思いながら楽しむのだが、仕事柄、どうしても本番までのリハーサルの大変なことを想像してしまう。

 アナウンスや開会宣言の言葉を聴きながら、世界が同じ言葉だったらどうなるのだろうとも考える。

 ヨーロッパ旅行をした際、成田から直行したのはフランクフルトだが、嫌いな飛行機の中で考えていたのは映画「サウンド・オブ・ミュージック」の山の景色とチロルハットの本場、そしてミュンヘンのビールだったが、そのすべてを体験が出来たことを懐かしく思い出している。

 ミュンヘンのビアホールで聴いた音楽が最高で、<これこそ「音と楽」だ!>と感じる世界だった。

 ドイツで失敗談がある。ローデンブルグの街で土産にワインを30本ぐらい買ったのだが、同行していた娘に「勿体ないから」と言われて船便にしたら、十数年経った今でも届かない苦い体験となっている。

 満員のスタジアムを目に世界平和の祈念する。戦争やテロの愚かさを再認識したいもの。スポーツ選手で戦死をされた馬術の西選手やプロ野球の沢村選手の歴史も知って欲しい。

ナチス政権下で開催されたベルリンオリンピックは1936年、私が生まれる11年前だったが、優勝候補のスウェーデンに勝利した奇跡的な出来事と水泳の「前畑ガンバレ」の実況放送が有名だ。

 その4年後の1940年は紀元2600年にもあたり東京での開催が決まっていたが、日中戦争の状況から辞退、中止となった暗い歴史も忘れないで欲しい。

 世界中の人達が集う大会の裏側に信じられない現実もある。今日もテレビのニュースで採り上げていたが、外国人の犯罪が多くなっているのに「引渡し条約」が結ばれているのはアメリカと韓国だけという。

他の国籍であれば国際指名手配をやっても意味はなく、被害者が悲しみを倍加することになっている。

 現在、我が国内の犯罪行為で国際手配をされている犯人が六百数十人もいるというから驚き。これでは命を奪われた人達があまりにも気の毒過ぎるではないか。

 21世紀を迎えIT社会となっても、人間の本質にはまだまだ進化の欠落があるよう。中国や韓国から犯罪目的集団が入国してきているし、マラッカ海峡では海賊が横行している事実もある。

 識者はこれらについて教育の欠落と指摘しているが、被害者になるパーセンテージがどんどん高くなりつつある社会傾向が恐ろしい。

  宗教は、何処へ行ったの? 天寿の全うや往生、涅槃という言葉の使用が減ってきているみたい。これらを被害者の葬儀で言葉にすることは難しい。我々司会者 が「やり難い」葬儀が増えてきているのは良い社会ではないということ。そこに社会の縮図と凝縮があるような気がしている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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