2006-07-26

命を謳うセミ時雨  NO 1577


 朝、近所の公園からセミの鳴き声。夏の季節を象徴する風物詩、今年初めての到来である。

そんなことを思っていると知人から「喫茶店にいるから」と電話があり、公園の横を通って向かったが、子供達が集まって木の上を見つめている。雨ばかりで気が付かなかったが夏休みになっていたことを知った。

 用件を済ませ、整骨院でテーピング処置を受け、それから本社に立ち寄ったら電話がひっきりなし。女性スタッフ達が「ご供花」問い合わせの対応に追われている。

ス タッフに「夏休みで子供が多いから運転に気をつけて」と声を掛け、安全運転を願って送り出しているが、最近の新聞ニュースを見ていると「被害者」となった 人達の数が多すぎる。ということは、それだけ加害者の存在があるということ。今日もパロマの役員が遺族に謝罪する光景が映し出されていたが、その「悲し み」のパワーを知ったら事故や事件が激変すると断言する。

 社内を歩いていると、女性スタッフの一人がイーゼルを持ち出してきてセッティング、そこに絵を置いて高さを調整している。

それは故人の立派な肖像画。50年前に描かれた素晴らしいものだったが、額の汚れが月日の流れを物語る。そこで彼女が傷を付けないように丁寧に手入れを。1時間ぐらいで綺麗になり、私は「光り輝く人生の輝きだ」と独り言。

 ニュースを観ていたら、雨の影響で高校野球の予選スケジュールが遅れているそうだが、そんな中で埼玉県予選でノーヒット・ノーランを達成した試合もあった。見るからに剛速球、アナウンサーが「注目の選手」と発言していた。

 さて、そんな高校野球の長い歴史の中、忘れてならないのが戦争による中止。夏の大会時には広島、長崎の原爆の日、そして15日の慰霊式もあるが、心から平和であることに感謝をしたいものである。

  ある年、我が大阪の予選で決勝まで勝ち進んだ公立校があった。いよいよ決勝、相手は甲子園常連校として名高い私学。そこで見事に完封勝利を成し遂げ優勝し たのは公立校。これで甲子園というところで太平洋戦争という戦時色で本大会は中止。その年、全国でどれだけの選手が無念の涙を流しただろうかと想像する。

 夏の甲子園大会で語り継がれる有名な試合がある。個人情報という観点から愛媛県と兵庫県の戦いということにさせていただくが、その時の捕手だった方の葬儀を兵庫県のお寺で担当したことを懐かしく思い出す。

 地元で名士としてご活躍された方で多くの会葬者があったが、印象に残っているのは対戦相手チームの方々が参列されていたこと。試合から数十年という交流があったと伺い、スポーツで結ばれた絆の幸せに感動した出来事である。

「人に歴史あり」という言葉があるが、思い出を共有する仲間には、「思慕感」的な絆が生まれるもの。顔を合わせただけで互いに共通する同じ光景が浮かんで来るようなものだが、人は、それがどれだけ多いかというのが大切な宝物なのだろう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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