2006-09-14

検問光景を見ながら  NO 1627


 メールの中に「禁煙0.5年、おめでとう!」というエールがあった。振り返ってみれば禁煙をスタートした入院の日から丁度半年。こんなことを覚えてくださっていたことに「ウルウル」しながら手を合わせた。

 禁煙に至った背景には医師の助言があったが、この「独り言」をご笑覧くださる方で禁煙に躊躇されている方がおられたらと、そのインパクトとなった部分を再掲申し上げる。

『医学が発展し、痛みを止める薬がいっぱい存在していますが、苦しみを止める薬はありません。肺の病の苦しみは堪りませんよ。その時に後悔しないように禁煙しましょう』

 考えてみれば自身が決断すれば出来ること。つまり「意思」と「意志」だけでということになるが「医師」の的確なアドバイスで「遺志」までの期間が長引いたことは確かだろう。

「酒とタバコはどちらが止め憎い」という会話をよく耳にするが、大半の意見が「タバコ」となる事実があるのに、ここまで飲酒運転が多い現実は理解に苦しむところである。

 喫煙というこれまでの行為で、どれほど多くの方々に害を及ぼしてきたかと思うと反省の言葉で済まされるレベルの問題ではないが、罪滅ぼしの一環として周囲の方々に禁煙を呼び掛ける発言をし、これまでの長い喫煙の歴史も吐露しながら嘲笑される昨今である。

今月に入ってから、喫茶店から飲食店までどこでも飲酒運転が話題になっているが、常識論と言える意見の集約は「後悔したくないから飲酒運転をしない」ということに尽きるよう。

しかし、この「後悔」のキーワードが「自身」なのか「被害者側」に対するものかの割合で人によって差異が生じているようで、そこの隙間に「魔」が存在して悪戯を齎すような気がしている。

 昨日「他人の天寿を事故で変えるな」と書いたが、飲酒をしていなくてもハンドルを手にする際は他人の存在を慮ること。そうすれば事故の確率は大幅にダウンする筈。

 居酒屋、寿司屋さん、割烹、ファミレスなどで、飲酒後に運転して行く光景を目にすることも少なくないし、ゴルフ場でもそんな現実を見ることも多い。

「酒豪だから」「乾杯だけだから」「ゆっくり走るから」「すぐそこまでだから」「こんな時間に検問はないだろうから」なんて言葉も飛び交っているが、それらはすべて悪魔の囁きで悲劇と後悔ドラマのプロローグ。そのキャスティングに選ばれたら最悪の結末が待っている。

ひょっとして近い将来には、6月から始まった民間による駐車違反の取締りみたいに、「飲酒運転取り締まり官」みたいな存在が誕生し、飲食店などの日常利用の中で気付いた飲酒運転を、未然に防ぐという社会システムが必要かもしれない状況だ。

  道を歩いていて突然撥ねられ、そのまま轢き逃げの被害に遭ったらそれこそ最悪。救命のパーセンテージを無視する行為は間違いなく殺人。そんな悲しみの葬儀 の光景を思い浮かべていただけば幸いで、これまでに犠牲になられた方々の「供養」に少しでもつながるような気がしている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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