2006-09-02

挑戦意欲に拍手を!  NO 1615  


 人は欲望があるから生きることができる」という強烈な言葉がある。

齢を重ね、周囲から次々に欲望と名の付くものが薄らぎ、そして消え、気が付けば幾許もない残された時間に寂しさ侘しさの全てを委ねる自分がある。

 いよいよ終焉が近いことを悟ると二つの欲望を感じることになると言われている。一つは家族の行く末の幸せを願うこと、もう一つは信じる信じないを通り越した「来世に対する夢」つまり自身を納得させるがための「心の安堵感」という名の欲望の終末である。

 歩けることだけでも素晴らしいことだが、病の床に臥さなければそれらを心から理解するには至らず、ここでも体感に勝るものはなしという格言につながる。

欲望に対して他人に注文をつけている間は、まだまだ終焉は遠いと言うことだろう。そんな顕著な事実を物語る知人の存在があるので紹介を。

  ひどい肩凝りに悩まされ、あちこちの医院や整骨院通いをしている中でも週に一度はゴルフのラウンド。「ゴルフは私の生き甲斐、ゴルフは私の人生」と公言 し、周囲の誰もがそれを認める人物として知られた彼だが、余りにもひどくなった症状に堪らず大病院で診察を受けてびっくり。その肩凝りが心臓の病気から来 ていると診断された。

 そこから始まった心臓の検査、やがて分かったことは手術をしないと発作でいつ急逝するか分からないということ。そんな危険性を指摘されたら誰でも手術の道を選択するだろうが、彼は主治医に対して次のような要望を懇願していた。

「死ぬまでゴルフをやりたいのです。手術をしてからもゴルフが出来るなら受けます。如何ですか?」

「このままでは、いつゴルフ場で倒れても不思議ではない」と結論を下していた医師だが、「あなたみたいな患者さんは初めてです。ゴルフが出来るように何とかやってみましょう」とアドバイスがあった。

 手術しか延命の方法はなく、その事実を医師から知らされていた家族も「ゴルフをするために手術を」と勧め、医師と打ち合わせ通りの作戦が進行していたそうだ。

  やがて手術当日、手術室に運ばれたところで「ゴルフが出来るように頼んまっせ!」と医師団に言葉を掛け、そして全身麻酔に。やがて心臓を一時的に取り外す というような十数時間にも及ぶ大手術を受け、それこそ生還そのものという大成功につながったのだが、その日からそれまでとは違うことが一つ、心臓の中に 「チッ、チッ」と命の音を刻む機械の存在がはっきりと感じられる身体になっていた。

 その後、次々に病気が発覚、数回の大手術を受けてきた歴史もあるが、その支えになっっていたのは「家族」の存在と「ゴルフ」への挑戦意欲。彼に勇気を与えられた人達も多く、私もその内の1人。

そんな彼が久し振りに35のスコアでラウンドをしてきた。そこでお呼びが掛かって相伴の幸運に。それは正に「命の輝きを謳歌する」ような楽しいひととき、「ご馳走様」と手を合わせ、取り敢えずパー・プレイに挑戦しようと思って帰ってきた。
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