2006-08-21

熱戦に賛辞を!  NO 1603


 連日の酷暑、甲子園球場の中継を観ると選手のスタミナと観客のパワーの凄さに驚嘆する。若かりし頃に高校野球の観戦に何度か行ったが、今なら間違いなく日射病で運ばれるだろう。

  何の味付けもされていない筈の「カチ割り氷」の味、それが無性に美味かったことをはっきりと覚えているが、当時にペットボトルは存在せず、ポカリスエット なんてスポーツドリンクも一切なく、魔法瓶に麦茶というのが一般的。それで倒れる人を見ることも少なく、昔の人は元気だったように思える。

 苫小牧と早稲田が再試合となった。明日は今日と打って変わり打撃戦になるような気がする。

 15回を戦った選手達、ふと彼らを休ませるのには<何がよい?>なんて考えていた。バスに乗せてスーパー銭湯でゆっくり過ごさせるのも一案と思ったが、臆病な性格から発想すると余計なことばかり浮かんでくる。

 バスが事故を起こして数人の選手が怪我をしたら大変だ。スーパー銭湯の中で滑って転んで捻挫でもしたらエライこと。「球史」に残る再試合を「休止」にしてしまったら大問題。そこで怪我だけはしないよう、そして万全の体調で甲子園にやって来られることを願っている。

 先攻と後攻があるが、今日のような延長戦になると後攻の方が心理的に有利のような気がする。なぜなら出塁した場合のプレッシャーに差異が生じるからである。

 めったに中継を観ることはないが、高校野球は負けている側の攻撃タイムが好きである。何が起こるか分からないから魅力があるのだが、今年の大会はミラクルと呼ぶようなドラマが多くあったよう。

 高校野球の期間中、高速道路を通行すると応援団のバスを追い越すことが多い。十数台というケースも少なくないが、故郷へ向け走行する車内の様子はみんな疲れてお休みのよう。無事故で到着するように願いたい。

 球史という言葉を上述したが、たとえ一回戦で敗退しても、選手、観衆それぞれの人生に忘れられない思い出を刻む。その時そこに居たということが「生きた証し」となるだろうし、参加できたことは幸せなことである。

 そんな野球を観ながら、ふとボクシングの亀田三兄弟のことが浮かんできた。彼らが野球選手だったらと思うとどうしても想像出来ない。ボクシングだけは別世界のものなのか?と考えるとインター杯などで真面目に青春をぶつけている選手達が余りにも気の毒だ。

 葬儀の仕事で重視されるのは礼節だろう。そこに従事するものに品性、品格がなければ故人や宗教者に申し訳ないし、その人が有する人格的価値は謙虚か卑属で180度変わってしまうだろう。

  昔、我が国内にテレビが登場し、人気のあったプロレスで別格として認識されていた力道山がおられた。プロレスとは興行であるところからショー的なイメージ も拭えなかったが、シャープ兄弟やグレート東郷など悪役に徹した選手の他に、反則行為を一切嫌うフェアプレイをモットーにする外国選手もおり、彼らが力道 山と戦いをしても相手側の選手の素晴らしい投げ技などに惜しみない拍手が送られていたことも小学生ながら記憶している。

 幼い子供達の大切なのはヒーローである。それにはキャスティングとして悪役も必要ととなろうが、悪役が勝利を獲得すると子供達の夢が崩壊してしまい、亀田三兄弟に対しては、良識ある大人達はTBSの愚かで低次元な演出レベルに悲しい思いを抱いているようだ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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