2006-10-31

遺訓から  NO 1674


 41年前の今日、練習を終えた仲間達と午後9時頃からお好み焼きを食べに行った。確か「うずしお」という名の店だったと記憶しているが、いつも和服を召されたエプロン姿の奥さんの姿が印象に残っている。

 みんな若い学生、食欲旺盛。それぞれが注文したお好み焼きが出来る前に5人前の焼きソバを注文、いつものようにまとめて鉄板の上でみんなで焼こうとワイワイやっていた。

 食べ終わったのが10時半頃、奥さんが「デザートよ」と、段ボール箱に入ったミカンを差し入れてくださった。平均したら一人当たり5個は食べただろうか。私もそのぐらい食した筈。未成年ということでアルコール類は一切なし、ジュースやサイダーを飲んでいた。

 なぜ、こんなことを書いているかというと、そんな暴食が夜中の夢の中で腹痛を起こし、あまりの激痛に未明に目覚め、<普通じゃない!?>と病院へ行ったら即入院「急性虫垂炎」所謂「盲腸」という診断からすぐに手術となったから。

「腹膜炎寸前でした。幸運でしたね」と言われて安堵したが、その入院が11月1日、明日である。この手術の後が大変、見舞いに来てくれた仲間達から笑わされた際の激痛が強烈。それに咳き込んだりクシャミをしたら最悪だった。

 さて、今日、小学校の同級生と会った。彼のお父さんの葬儀、猛烈に寒かった時期にお寺で行われたのだが、弔辞の方がメガネを忘れられて字が見えず、予想もしなかったハプニングになったので印象に残っている。

 そのお父さんの遺品を整理していた彼、遺訓となったメモをいつも持ち歩いている。そんな中から彼の許可を貰い、ふたつを紹介申し上げる。

その一言で
『その一言で励まされ その一言で夢を持ち その一言で立ち上がり その一言で腹が立ち その一言で泣かされる  ほんのわずかな一言で不思議に大きな力もつ  ほんのちょっとの一言で』

そのうち
『そ のうち お金がたまったら そのうち 家でも建てたら そのうち 子供から手が離れたら そのうち 仕事が落ち着いたら そのうち 時間にゆとりができた ら  そのうち そのうち そのうちと できない理由を繰り返しているうちに 結局は何もやらなかった 空しい人生の幕がおりて 頭の上に淋しい墓標が立 つ  そのうち そのうち 日が暮れる いまきたこの道かえれない そのうち そのうち 弁解しながら 日が暮れる』
・・・この終章部分に※マークがあり、「そのうち」は成功しない考え方行動の習慣であ
   ると結ばれてあった。

 勉強になりましたと、お父さんに手を合わす。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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