2006-10-27

不思議な話?  NO 1670


 過去ログにあった筈だが、ある一定の年齢以上で伴侶を亡くした場合、妻に先立たれた夫のそれからの存命年数の平均が5年、逆に女性が残った場合は20年という格差があり、女性のパワーの強さが平気寿命だけではない現実に我々男は衝撃を受けている。

 子にとって親、親にとって子の存在は掛け替えのないものだが、父と母を比べてみると、やはり母には特別な感情を寄せるのが普通のようだ。

 幼い頃に父が風邪で寝込んでいても気にならなかったが、母が寝込んでいると心配で学校にも行きたくないようになって、悲劇の主人公に陥ってしまうぐらいの差があったから不思議なこと。

 これらは果たして「母から生まれた」ということだけの違いなのだろうか。それらは男性の友人達との会話からも、決してそうではない何か特別なものがある筈だという意見の共通があった。

 葬儀の場で多くの涙の光景を目にしてきた。父を送る、母を送る、その年代が異なるのは当たり前だが、そこで子が流す涙の色に違いがあるように思えてならないのは私だけだろうか。

 一方で、孫達が流す涙には別の感情も考えられる。幼い場合には親が涙を流すのを見て無性に悲しくなるケースもあるだろうし、「もう、お爺ちゃんはいなくなるのよ」と教えられて泣き始めることもあるだろう。

 涙の元は真っ赤な血液、それを身体の中で透明な涙に変化させることによって心身を守る。そのプロセス・メカニズムはまったく驚きの世界である。

  嬉しさ、喜びの涙もあるが、スポーツの試合で負けた悔しい涙もある。しかし、人の死に流す涙ほど純粋で透明なものはなく、涙のレンズを通して見える世界 に、自身がやがてこの日を迎えるということへの哀れみを感じていることもあるだろうし、それが葬儀という儀式の意義深い重要なところであろう。

 テレビの速報で死去を報じられ、新聞にも訃報記事として掲載されるような人物もあるが、一方に医療関係者だけに看取られて生涯を終える天涯孤独な人もあり、気の毒としか言葉が見つからない行路病者という悲しい現実もある。

 霊安室で病院関係者が焼香をされ、我々スタッフが手を合わせて焼香を行い、やがて火葬場へ向けご出棺されて行くが、その後ろ姿に、その方の誕生や青春時代をどうしても勝手に想像してしまう。

  孤独死は、あまりにも寂し過ぎる。誰もが周囲に家族の存在があって看取られたいだろう。出来たら自身の死を嘆き悲しむ人の存在があって欲しいもの、と書け ば「愛人?」と誤解されそうだがそうではなく、この世で知り合った人達の存在で、近隣の人達や友人というのもそうだろう。

 ところで、最近、テレビや映画で「あの世」の物語りが話題になっているようだ。私が担当した葬儀で不思議な体験をされたお話しを伺ったので紹介を。

 春の季節に70歳で亡くなられた女性のことだが、病室で危篤状態に陥られ、医師と看護師が付き添い、その周囲を家族が取り囲んでいるところでの出来事だった。

 部屋の息苦しさを感じた家族の1人が、そっと窓を開けようとされた時、幼いお孫さんの女の子が「開けちゃダメ!」と大きな声で叫んだそうだ。

  お父さんが「どうして?」と聴くと、「お婆ちゃんを迎えに来ている人が入って来るからダメ」と説明が。彼女が叫んだ際、心電図や血圧の数字を画面で注視し ていた看護師さんが不思議な変化に気付いていた。痛み止めのモルヒネで朦朧とされた意識状態を物語る数字、それがその瞬間から異常に反応しているからで、 その結果は脈心中の医師の手にもはっきりと伝わるレベルのものだったという。

 それからすぐに「ちょっと空気を入れ替えようよ」と窓を開けたのは次男の方。それと同時に血圧の低下が始まって臨終となってしまい、叫んだ彼女が「ダメって言ったのに、どうして?お婆ちゃんが連れて行かれてしまったじゃないの!」と泣き崩れてしまった。

「白い着物の人も黒い着物の人もいたよ。窓の外で待ってたのに。お婆ちゃんね、私に手を振ってくれたよ」とお母さんに語ったそうだが、その子にだけ見えた不思議な光景は、それからご家族の皆さんが信じるようになっている。
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