2015-04-29

昭和の日に  NO 4175

桜前線が北上したという写真を掲載するブログがあった。ご仏縁に結ばれる函館の水引アート作品で知られる「清雅舎」のHPだが、函館便りのページに満開の五稜郭の写真が掲載され、彼女らしい古人が詠まれた桜に関する「歌」を紹介されていて興味深く拝読した。

奇しくも10年前の今日の「独り言」では彼女のことに触れており、当時を懐かしく思い出していた。 

今日「水曜日」はメールマガジン「まぐまぐブログ」の送信日。テーマは深いご仏縁のある神戸の同業者「公詢社」を採り上げ、阪神淡路大震災当時のこと、両陛下を迎えて行われた10年目と20年目の慰霊式、皇太子ご夫妻を迎えたモニュメントのセレモニー、そして乗車されていたタクシー事故で急逝された元兵庫県知事のお別れの会にも触れておいた。

ニュースの記事に目を通しているとびっくりする記述があった。花園大学の佐々木教授が紹介された「涅槃経」に関するお釈迦様の最期で、全々号で掲載した写真の「ルンビーニ」で生誕されたお釈迦様は「クシナーラ(クシナガラ)(クシーナガル)」の地で食中毒を原因として涅槃に入られたのだが、その時に供養に頂かれた食事が「豚肉」や豚が好む「トリュフ」だった可能性があるというものだった。

佐々木教授のこの話題は、今日のNHKプレミアムでも「仏陀の最期の言葉」でも採り上げられており、興味深く観ていた。

お釈迦様の入滅されたこの地は四大聖地の一つでもあり、仏教で食肉を禁じられていると勘違いされていることもあるが、当時の仏教にそんな戒律はなく、教授はそれこそが仏教らしさを物語る逸話であると結んでおられた。

涅槃に関する物語りについては何度か「巾着袋」と「猫とネズミ」の逸話を紹介したことがあるが、涅槃経に関してお釈迦様が説かれた有名なお話を再紹介しておこう。

精子と卵子が結び付いて生命が誕生するということは近代の顕微鏡の登場によって理解されるようになったものだが、遠い昔にお釈迦様はその確立を比喩されるのに「盲亀の浮木」と「優曇華の花」に例えられ、この世に誕生することは稀なことだから大切に生涯を過ごさなければならないようなことを説かれていた。

この「独り言」を古くからご笑覧くださる方ならご存じだろうが、偶然にご訪問いただいた方もおられると考えその意味についてもう一度触れておこう。

前者は、太平洋と大西洋を合わせたような大海に一匹の亀が棲んでおり、100年に一度だけ海面に首を出す習慣があったが、それが偶然にも漂流する節穴のある木片にすっぽりと入ったというパーセンテージであり、後者は3000年に一度だけ咲くという珍しい花で、人間に生まれたことへ感謝すべきという思いを伝えておられたと考えられる。

今、あるプロジェクトが進んでいる。人生の黄昏を感じ始めた私のために、この業界に長年従事した中で語った語録を編集して書籍として残しておくというもので、送信されて来た予定原稿を読んで「こんなことを言っていたのか!」と懐かしく思い出したことも少なくなかった。

我が葬祭業は社会の変化と共に急変してしまった感があるが、葬送の文化や人の悲しみというものは不変であると信じている。混沌とした社会にややこしい業者が登場するのは世の常だが、そんな時代にこそ「本物」の存在が認識されるのも確かである。

今日の写真は「ワット・ローカヤスターラム」の涅槃仏を。ネパールのことを思って手を合わす。
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