2007-06-05
寿命とは? NO 1882"
俳優の石立鉄男さんがご急逝、病名は「急性動脈瘤」というものだった。
腹部ではなく心臓に近い血管に問題が生じたケースで、何の自覚症状もないと言われているが、急激な痛みを感じた瞬間に死に至ると言われる恐ろしい病気である。
自覚症状から<?>が生まれ、検査を受けたら病気が発見され、やがて手術を受けて信じられないほど元気になれた私だが、大病院での診断結果から担当医師に言われた次の言葉を忘れることはないだろう。
「あ なたの病状は、すべてこのパソコンの中に記録されました。ここにある診察カードを渡しますが、大阪市内で急激な痛みに襲われたら『破裂』と考え、すぐに救 急車でやって来なさい。診察カードの番号さえ連絡があれば、24時間態勢で手術が可能です。但し、発症から20分以内に到着出来たら50パーセントは助か りますが、そうでないことが50パーセントということも覚悟してください。そして、助かったとしても、その後が想像以上に大変なのです。ですからなるべく 早く手術をされることを勧めます」
そんなことを言われてからあちこちへ出張することも恐ろしくなり、やがて覚悟を決めて手術に進んだわけだが、今、改めて決断したことに幸運を感じている。
一方で、大好きな音楽家であった「羽田健太郎さん」がご逝去され衝撃を感じている。享年58歳という年齢が何よりも悲しくて勿体なく、「題名のない音楽会」で彼の姿を見ることや見事なアレンジを聞けないことが残念でならない思いである。
過去に日本人離れしたポップスの名曲を数々遺された「宮川 泰さん」の死も惜しまれてならないが、死というものはすべてを持ち去ってしまい、そこから新しいものを誕生させてくれないということが寂しくて哀しい現実なのである。
今、団塊世代にある人達の周囲は病気とお葬式の話題が多い。それは、年齢的にそうなって仕方がないのかもしれないが、見舞いや香典袋を月に何枚も表書きする度に自身の年齢を強烈に教えられることになる。
葬儀を終えてから同年代のご夫婦との会話、ずっと仕事ばかりの人生、「少し休日を増やして旅行にでも出掛けたら」と言うと、反対に「あんたの方がそうするべきだ」と返され、「では一緒に行く機会を設けましょう」ということになった。
病院の白い天井を見ながら後悔することがないような人生、晩節とはそんな行動も大切だろうが、こんなことを書いて100歳まで生きたら笑われるかも?
如何に生きるか、如何に生きたかも重要だが、如何に死を迎えるか、如何に死を迎えたかも大切だ。「死」を学ぶことは何より「生」の「ありかた」を学ぶこと。病気と車の運転には臆病で臨みたいものである。