2007-04-18

大丈夫!?  NO 1839


  朝のニュースで長崎市長の残念無念な逝去を知り手を合わせた。悲しみの仕事に従事する我々葬儀社だが、事故や事件という理不尽な死に接し、そこで悲嘆にく れられるご遺族の姿を目にすることがどんなに辛いかを知りながら、ただ手を合わせるだけしか出来ない立場に歯痒い思い。

「銃はダメ、命を大切に!」と書いても叫んでも、この「独り言」も「ごまめの歯軋り」「石亀の地団駄」である。

 市長の死は、ご遺族の究極の悲しみの中で密葬が進められ、日を改めて「市葬」というような形式で本葬儀が執り行われるだろうが、民主主義社会の再認識、啓蒙、そして暴力否定をコンセプトとして考え、国民葬的な葬送になってもよいのではと思えてくる。

 広島や長崎の被爆という特別な歴史から総理も参列し、平和の誓いを宣言することを弔辞に代え、警察庁長官も暴力に対する徹底的な対処を宣言するような式であればと望みたいし、長崎にドーム球場があればなと不謹慎なことを想像してしまった。

「運否天賦」という言葉があるが、日米両国で発生した銃事件は間違いなく「人災」であり、それを運命という簡単な言葉で考えることだけは避けたいもの。誰もが今日「生」あることに感謝をするきっかけにつながれば少しでも「供養」になるような気がする。

 突然の不幸によって「家族」が「遺族」になり、誰も想像出来ないような「悲嘆」に陥ってしまうものだが、特に事故や事件での死というものは家族までを被害者に巻き込んでしまうものだ。

 夕方のニュースでJR福知山線の大事故に関する社長の会見の様子を観たが、信じられない発言をしていたので衝撃を受けた。

 息子さんを亡くしたお父さんの心的な病状、突然に失神したりすることもあったそうだし、今は難聴という兆候も出てきたそう。しかし、その原因がJRの対応にあったという観点で取材が進められていた。

そ の人は長男を1歳の頃に病気で亡くされ、大学へ入学した次男を2年前の事故で亡くされたということであり、所謂「二次的被害者」と称される扱いで現在まで 治療されてきたのだが、医療費を負担してきたJRから通告書が届き、今後は保険適用で3割負担の部分だけJRが負担すると書かれていた。
「範囲内を超えている」「二次災害に関する費用を抑え、その分を安全対策費用に回す」なんて発言をしたJR西日本の社長、<この人の血液の色を見てみたい!>と心から思った今日だった。

<こんな傲慢な性格の人でないと交通機関の経営者は務まらないのだろうか!>と、同時にそんな疑問が生まれたが、この姿勢では真の安全改革は無理、間違いなく事故の危険性が高いと断言する。

 命の大切さを唱えるには人としての「愛」を有することが最低条件、そこに死というものへの「哀」を感じる心が備わる。だから「安全運転を!」となるのだが、この人物の思想行動は、私には絶対理解出来ないタイプである。

 飛行機の嫌いな私、JRの利用の多いこれまでの歴史。それはこれからも変わらないが、新幹線、在来線特急列車、新快速から環状線など、乗る度に「運否天賦」の言葉を思い起こす環境は遠慮したい。

JR西の社長さん、あなたの血液の色だけではなく、これまでどんな人生を過ごされた人なのかも知りたい気持ち。

「安全に対して真剣に考えてよ!」「人格を変えなさいよ!」「意識改革はあなたが先では?」との言葉をここにしたため、被害者とご遺族に手を合わせ、事故が起きないようにと願っている。
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