2007-04-24
ご命日 合掌 NO 1844
長崎市長の選挙で衝撃的な事件が発生し、投票方法に関して予想もしなかった問題が起きている。
多くのブログに世襲候補者が落選した意外性について触れられ、その要因になったのが立候補までの経緯に見られた候補者の笑顔への指摘。「あれがなければ逆転していただろう」という意見が多くあり、テレビの映像の怖さを再認識した出来事でもあった。
また、娘さんの発言に対する批判的な意見も強いが、悲嘆にくれる心情には「当たり前のこと」と理解して上げたいではないか。
JRの大事故から2年目、多くの家族に「二次的被害者としての悲嘆が続いている」と報じられていたが、それも極めて当然のこと。それだけ家族を喪うという悲しみは強いもの。
選挙活動の中で銃撃事件が発生し「家族」から突然「遺族」になった心情は驚愕の遭遇で、事故や事件の被害者と家族は、まさに大変な思いを抱いているのである。
人が死を迎えると葬送の儀式が行われるが、それが動物の中で人間たる「所以」とも言える。
数 人の方々に送られる人、数千人の人々が参列して送られる人と様々だが、誰もが最低条件として、命尽きる瞬間に誰かに立ち会って欲しいもの。それが医師と看 護師さんだけでは寂しいが、それ以上に事故や事件の被害者となれば表現出来ない怨念に繋がる寂しさと悲しさがある筈だ。
最近、家族葬が 流行している。忙しい時、私が相談を担当することもあるが、アドバイスの中で「ご家族プラス来ていただきたい方」という考え方が重要なキーワード。葬儀が 終わってから出てくる様々な問題点をお話し申し上げると理解に至り、家族以外の「知らせるべき人物」のリストアップを始められることになる。
「お 客様の仰せの通り」という考え方がサービス業の基本にあるが、こと葬儀に関してはご体験も少なく「非日常的」なこと。故に「仮定」「想定」という観点から 傷を付けないようにアドバイス。ご終焉を迎えられる前から葬儀、中陰、一周忌、三回忌に至るまでの総合的な「過程」を「課程」として学んでいただき、そこ に本当の「家庭」葬の意義が生まれる筈だ。
葬儀をビジネスと捉える考え方が潮流だが、そんな割り切り方に将来はない。人の死は「次の方、ご案内!」で進められるほど軽いものではない。弊社が加盟する協会や塾生達はそのことを学んで共有しており、そこに「命の伝達」という結論に至った歴史がある。
『故人は、ご自身のご逝去によって命の尊さと送りゆく私達が生かされていることを教えてくださいました』
そんなコメントもあるが、ナレーション、フレーズなど言葉の選択には「命」「宗教」「愛」という世界を大切に考えたいものである。