2005-04-29
美しい存在 NO 1141
世の中に憧れの人が存在するということは人生にあって幸せなこと。しかし、そういう方に共通することは近寄り難い?ということ。会うことすら緊張が邪魔するし、そんな心情を言葉にするなら「畏怖」や「畏敬」となるだろう。
これまでに「独り言」で何度か紹介申し上げたが、函館に在住される一人の女性がそんな方。弊社が加盟する協会のメンバーや塾生達とも交流いただいている が、全員に共通しているのが上述の言葉。単独行動でお会いするなんて絶対に無理。そんなところから数人でお食事をしたことがあるが、それでも手に汗いっぱ いで全員が緊張の連続。
そんな女性を弊社スタッフ全員が「北国の女神」として崇拝申し上げているが、ミス・ホスピタリティに到っては「帰依」の世界。有り難くもメールを頂戴しながら爽やかな北風によって女性らしい感性を研いていただいている。
学芸員の資格を有され、和歌、香道、着付け、礼法、茶華道、熨斗や水引細工に造詣深く、朗読から社交ダンスまでグローバルな世界も嗜まれ「レディー」と称される純日本的な女性だが、そんな彼女が弓道にも挑戦されているというのでびっくりした。
和弓の礼法にも小笠原流の存在があるらしいが、これまた奥義の深い世界。彼女の専門的研究分野である仏教の「法衣」「法具」の世界に相まって、新しい日本文化の道の探求を始められたように思っている。
そんなところから、今日は隠れ家に飾ってある彼女が恵贈くださった「鶴」の写真をと思ったのだが、スタッフがパソコン入力サイズを誤ったようで入らず、弊社の玄関にある彼女の作品「六瓢」を添付させていただきます。
瓢箪が登場したところで、ちょっと薀蓄を。
大 阪にゆかり深い「千成瓢箪」は豊臣秀吉の馬印。その敵方となって繁栄の続いた徳川の江戸時代だが、当時に「鶴」を殺傷したら死罪という厳しい法の存在もあ り、鶴が飛来する地方の農民が、田畑を守るために起こしてしまった事件で処罰されたことも少なくなかったようである。
彼女は、ご友人の皆様から「鶴」ならぬ「朱鷺(とき)」というニックネームを贈られているそう。親しいご関係の方からもそんな存在として認識されるのも彼女らしいと思っているが、彼女によると、私もそんな部類に入る「変なオジサン」だそうである。
葬儀に携わる人達が多く訪問する「空飛ぶ水冠」のHPだが、コラム「迷いの窓」のページを開けると彼女の世界が一気に広がってくる。上述した意味をご理解いただけることになるだろう。
今日、訪問してみると「微妙の声」というタイトルで連載更新されていた。
孔 雀の話に興味を覚えながら拝読していく中『迦稜頻伽』という文字に目が留まった。過去に書いたことがあるが、私の秘蔵テープの中にこのタイトルの曲があ る。鳥のさえずりから始まる心休まる仏教世界の旋律。取り敢えず、このテープをプレゼントさせていただこうと考えている。
今日の<HOME>接続は、『空飛ぶ水冠』・・・コラム「迷いの窓」へお進みくださいますよう。(鶴の写真は明日の号外で掲載申し上げます>