2003-12-06

読めなかった文字    NO 627

この三日ほど風邪気味でダウン、山ほどの薬が食後のデザートでウンザリ、やっと動き出せるようになってきた。

 昨日に書いたクリスマスのポスターだが、事務所に行くと完成していた。

 かわいいデザインでうまく創作してあったが、私では発想しなかった表記がいくつかあり、やはりこんなことは女性の感性に委ねるべきだと再認識させられた。

 私なら「日時」としていた部分が「ひにち」「じかん」になっているなど、子供を対象にするコンセプトがはっきりと伝わり、完成ポスターを届けた役員さんたちから感嘆のお声を頂戴する結果となり喜んでいる。

 今月は、様々なスケジュールが入っている。講演もあるし出張もある。また、数件の事前相談が入っており、神戸に出掛けなければならない用件も増えた。

 中旬には東京で研修会が開催され、二人の女性スタッフを伴って上京するが、微熱のある状態は辛いもの。医師から頂戴した薬を服用しながら品行方正を心掛ける。

 今日、あるお寺様で総代さんをはじめとする檀家さんたちの忘年会があり、毎年出席させていただいたが、そんな事情で残念ながら欠席してしまうことになり、申し訳ない思い。

 忘年会で思い出したが、十数年前、ある公的な役職に就いていた関係で、12月の忘年会が20いくつもあった。その内の半分ぐらいに出席したが、お通夜の関係があり、会費を持って顔だけ見せたケースが10回を超えた。

 任期が終わり開放されてホッとしたが、接待されることが大嫌いな私、それから公的な役職についてはすべて遠慮申し上げている。

 「役」とは「厄」であると誰かが書いていたが、それらは体験したらよく分かるし、それで病気になったらそれこそ「厄病」、そこでクワバラクワバラと敬遠する。

 でも、ボランティアに関する役職はいくつか就任している。これは誰もが共有する理念に結ばれ接待が伴わない。年代の開きも楽しい交流だし、今後も活動したいと思っている。

 当社が加盟する日本トータライフ協会発信の今日のコラム「有為転変」に、「喪中と年末」というテーマで、この時期に我々葬儀社が相談を受ける電話のことが書かれてあった。

 門松、鏡餅、おせち料理など、今年にご不幸があったお家に生まれる慣習の変化であるが、ご興味のあるお方は「リンク」のページからお進みください。

 そうそう、その「有為転変」の記述の中、おせち料理に『慈姑』という文字が登場して驚いた。

辞書を調べたら「くわい」であり、里芋みたいなもの。芽が出るところからおせち料理に重宝されているのだろうが、「慈曲」の「慈」と「姑」という文字の組み合わせが面白い。時間があったら調べてみたいと思っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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