2023-09-03

思い出したこと  NО 10011

湯の川温泉 お気に入り旅館の大浴場朝からインターホンが鳴った。出ると知人の奥様で聖書の中の素晴らしい一文の紹介だった。ちょうど来客中で会えなかったが、後日に参上して伺うことを考えている。

今日は土曜日、2週間分の薬をいただこうと医院へ行った。処方箋を貰って薬局へ行って袋を下げてそのまま「力餅食堂」へ行ったが、また新しい薬が増えたので女将さんが驚かれていた。

「また痩せたみたいよ。夕食を食べている?」と聞かれたので友人の割烹へ行っていると伝えたが、「食べなきゃ駄目よ」とアドバイスされた。

そんな時に友人から電話があり、夕食をと誘いがあったので友人の割烹へ行った。久し振りだったが、お気に入りのから揚げがなかったので以下の糸づくりを食べ、添えられていたわかめも努力して食べた。

しばらくすると友人が五条の山で栽培している「坊ちゃんカボチャ」のおてんぷらを出してくれ、美味しくいただいたが、彼は様々な物を栽培している。

私は幼少期を伊勢で過ごしたが、母が庭で様々な物を栽培していたことを思い出す。「とうもろこし」「青唐」「なすび」「きゅうり」「お茶」「カボチャ」「トマト」などだが、その時代に「椎の実」「ヤマモモ」「山桜桃梅」「野イチゴ」などの味を知った。

思い出すのは夏に自転車で販売いていたアイスキャンディーで、試験管に割り箸と言うお粗末なものだったが、1本2円50銭で、3円出すと50銭のおつりがあった・

夕方のニュース映像を観ていると、5年前に発生した北海道の胆振の大きな地震で犠牲になられた方々の慰霊式が行われていた。この独り言で「北海道の地震が気になる」と書いて発信してから間もなく、日付が変わってしばらくしたらテロップにその地震の震度が流れて驚いたが、次の日に喫茶店に行ったら、この「独り言」をご照覧くださっている方がおられ、「予見したみたいに地震が発生したなあ」と言われて店内で話題になった。

それは台風21号で我が家が大変な被害を被ったすぐ後のことで、修復工事と屋根や壁の全塗装をお願いしたので足場が大変で近所の方たちから「建て替えるの?」と聞かれることになった。

その数日後に秋田へ飛び、秋田駅から青森まで「五能線」の旅を予定しており、青森から函館へ津軽海峡フェリーで渡り、長万部駅で普通列車に乗り換えてニセコの「紅葉音(あかばね)」に宿泊し、現地の友人達と会ってから登別温泉へ行く予定を入れており、当日の朝に予想もしていなかったことから自宅内で転倒し、目から火花が出て吐き気がして3時間ほど横になっており、妻に行けないと伝えたら「あなたが行かなければ誰も分からない」と言われ、鎮痛剤を持って出発することになったが「五能線の5時間強」の車内の時間は洋右通腰痛に苛まれて苦しんでいたことを憶えている。

青森のホテルでも寝返りが出来ず、ニセコの旅館、登別の旅館でも辛い思いをしたが、関西空港からタクシーで帰宅し、医院の先生に電話を入れて診察をお願いしておいたが、数日後に妻が骨折で通っていた病院で序に診察を受けたら、「圧迫骨折」をしていることが判明し、鎮痛剤を処方して貰ったことも忘れられない。

友人と夕食を食べながら、「雲仙の宮崎旅館」と函館湯の川温泉の「「竹馬新葉亭」のもう一度行きたいなあと言う会話になった。

どちらも私のお気に入り旅館だが、友人も両方行っているのでよく理解しており、「考えられない旅館だった」と語っていた。

我々夫婦は来月の12日で結婚52年目となるが、宮崎県の小林市にある「生駒高原」のコスモスを観に行きたいと思っており、その足で熊本の妻の実家に立ち寄ることも考えている。

妻の名前は実家が建った時に付けられた名で、熊本の大きな地震危険状況になり、更地にして新築されたが、その後に行ったことがないので連れて行ってやりたいと思っているが、私だけでは補助が難しいので妻の妹を車椅子の世話係を頼みたいと願っている。

この話をした時に、彼女も実家に帰っていないので「行きたいわ」と言っていた。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net