2011-11-04

普通じゃない  NO 2743


 一般的な葬儀に音楽が活用したり、故人の生い立ちを語るナレーションが登場したのは40年ほど前のこと。その先駆けとなった一人が私であると自負しているが、そのプロセスにあって、宗教者との摩擦は想像以上のものであった。

  導師が入られる会場空間を式場空間として「神変」させたい。それには音楽が必然との考え方から、プライベートなお付き合いの中で話し合い、やがて実行する ようになった経緯があるが、ナレーションも初めの頃は文語調であり、まるで平安時代の文章みたいで今思えば恥ずかしくなってしまう。

 それがどんな文章だったなんて知る人は少ないが、例えば「今日と咲き出で、今日と散りゆく」なんて書いたら雰囲気だけでもお感じいただけるだろう。

  仏教葬儀の中で、浄土真宗系では行われない「引導」の作法にあって、宗派によっては一般の方々が理解出来るお言葉もあるが、そうでない世界があるのも確か である。そこで、僭越ながらその意味を分かり易い口語体でと考えたのが現代バージョンのナレーションだが、ただ美辞麗句を並べる司会者や、冠婚葬祭互助会 に多かった「虫食い」バージョンの出現で、宗教者から強い抵抗感が生まれた歴史も学びたいところである。

 そんなところから私がキーワードにしたのが「命」と「宗教」で、それらを原点として創作した数々のナレーションが、短期間の内に全国に広まって行った現象も起きた。

  葬儀にあって、初めてお会いする宗教者との打ち合わせ時に、ナレーションに対して「導師の入場前」「退出後」というお言葉が多かったが、ある時、創作原稿 を確認された導師がおられ、「これだったら引導に続いてやってもよい」とのお言葉を頂戴した際の喜びは生涯忘れられない出来事だし、その後の弊社のオリジ ナルナレーションへのきっかけとなった背景となっている。

 全国からやって来た多くの司会者の皆さんに教えた中に、故人が残された挨拶文 や、お孫さん達をはじめとする遺族の皆さんから託されたメッセージの代読が重要で、「鍵カッコ」内を如何にうまく表現出来るかを学びなさいと指導してきた が、今、弊社の司会を担当してくれている女性司会者は、そのレベルからすると際立った存在と言えるだろう。

 研修に訪れた司会者達を彼女が指導する光景を何度か目にしたが、その「ダメだし」は彼女ならではの厳しいもの。しかし、その指摘によって成長する人達を見るのは嬉しくて楽しいことだし、これからも長く続けて欲しいと願っている。

 葬儀というものは、ある意味恐ろしい問題が秘められている。ご遺族の親戚の方々が全国から参列され、その地でご体験された葬儀司会者との比較のお言葉を耳にするからだ。

しかし、幸いにも「ここの司会者は普通じゃない」なんてお言葉が、私の現役時代に続いて彼女にも多いので喜んでいる。

 北海道から九州まで、依頼されて多くの「大規模社葬」や「合同葬」またホテルでの「お別れの会」や「偲ぶ会」などの司会を担当させていただいた歴史があるが、前述のお言葉に勝るものはなく、我々司会者にとって、究極に追い求める言葉なのである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net