2011-05-30

メッセージ  NO 2662


 始めに前々号「NO 2660」に書いた「筑後山小屋駅」のことだが、思い込みのミスで「筑後船小屋駅」だったことをお詫びして訂正いたします。

 キャンディーズとして一世を風靡したトリオ、「スーちゃん」の愛称で人気の高かった「田中好子さん」がご逝去され、その葬儀の中で流された肉声による録音メッセージが大きな話題となった。

 30年ほど前、ある葬儀を担当した際、それは私の葬儀人生にあって大きな影響を与えてくださった衝撃的出来事であり、スーちゃんの葬儀のニュースで懐かしく思い出していた。

 その葬儀、80歳を越えられた男性の方で、クリスチャンの生涯を過ごされたことから教会で行われ、司会を私にとわざわざご指名くださったものだった。

 クリスチャンの教会形式の場合、我々葬儀社は設営を担当するだけというケースが多く、司式をされる牧師や神父さんの他に信者さんの中から司会者が出られることが大半で、こんなケースは異例で考えられないことである。

「父はあなたを指名していました」との喪主様のお言葉に畏怖しながら打ち合わせが始まったのだが、「実は、併せてお願いが」と出されたのが一本の録音テープ。それは、ご本人自らが病室で録音された会葬者向けのご挨拶だった。

「本日は、私の葬儀にご会葬いただき恐縮の極み。誠に有り難う存じます」で始まるお見事な内容であり、教会関係者との打ち合わせの中で「ご遺志」の尊重ということからお許しをいただき、司会を担当する運びとなった訳である。

 ご多数の会葬者が参列される中でその時間が訪れ、お断りを入れてから肉声を流したのだが皆さんの驚きは想像以上のもの。中には帰り際に「私も準備したいな」と仰る方が数名おられた。

  私のお喋り形式は、当時から一般的な葬儀の司会者とは異なっており、人生最後の大切な儀式を担当するなら宗教者のお手伝いという立場を謙虚に弁え、一歩も 二歩も下がってという思いを強く抱いていたのだが、上述の葬儀で故人の意思として「遺言」的担当というケースでは、宗教者との打ち合わせを綿密に進め、故 人がどのような葬儀を望まれていたのかを両者で熟慮することにしたのである。

 その葬儀が終わって火葬場からの帰路の車中、司式を担当された方から次のように言われたことが忘れられない。

「葬儀社さんの司会はあまりにもお粗末で低次元です。だから信者さんの中から司会者を選んできたのです。でも、あなたは全く別の世界をお持ちです。何か特別な勉強をされたのですか?」

 私のそれまでの歴史、そこには葬儀屋が絶対に勉強しない世界があり、現在の「無宗教」形式に於ける「司式者」たる思いと誇りが培われた体験ともなった背景があった。

「大 切な人の 大切な儀式、そこに大切な宗教者を迎える」そんな会場空間を儀式空間に神変させることの重要性。そこに目覚めなければ葬儀の司会者にはなれず、 宗教者の入らない無宗教形式にあって、単なる進行係という司会者では申し訳なく、僭越ながら司式者としての立場を学ばなければならないと至ったのである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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