2003-07-09

おとむらい     NO 480

朝方、昨日に書いたお母様が亡くなられたと電話を頂戴した。

 担当スタッフ達が対応を始めたが、参列者数が全く把握出来ない状況の中、お寺様が滋賀県と京都から来られるという情報が入った。

 「供花は、100以上あると思います」

 担当責任者がそう言ったが、私が最も心配していたのは式場のこと。

 彼は、「ご心配なく」と返し、私が考えていた式場を押さえてくれていてホッとする。

 そんな彼、事前相談に参上してからずっと落ち着かなかったそうで、寝られない夜を過ごしたそうだ。

 女性スタッフ達がオリジナルサービスの制作を始めている。

最新型の特殊機器がフルに使用されるだろうが、うまく活用出来るのかと一抹の不安を抱きながら男性スタッフ達が作業を覗き込んでいる。

 さて、今日は、私が受講してきた講義から「弔」について書かせていただく。

 慶弔や弔問の「弔」という字はめったに使う文字ではないが、葬祭業に従事する我々にとって、その文字の意味は深いもの。

 葬儀のことを「おとむらい」という言葉があるが、「ちょう」や「とむらう」と読まれるこの文字、他人の死に対して同情を表す意味の裏側に、「天」を恨む意味があるのに興味を覚えた。

 講義を拝聴した中で、「弔」は「とふらう」「とうらう」との読みがあり、「とう」は「問う」ということと学んだ。

 「なぜ死を迎えてしまったのか?」「どのように生きてきたか?」「心残りはなかったのか?」というようなことを問うというのである。

 「弔」と同じ読みの同義語に「唁」がある。(愚生のパソコンにはこの文字がなく、作字ということから見難いでしょうが、「口」と「言」の合作なのです)

 受講後、帰宅してから辞書を開くと、「弔」という文字が入っていながらあまり使われず、「弔い」とは離れた意味の言葉があるのが面白く、ここで3種を下記申し上げる。話の種になれば幸いです。

『弔影』・・・自分で自分の影に同情の言葉を掛ける。ひとりぽっちで寂しい様のたとえ。

『弔古』・・・昔の事柄を思い出して、思いに耽ること。

『弔橋』・・・吊橋のこと。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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