2003-08-19

超宗教の自由葬    NO 520

無宗教形式の葬儀の要望が増えている。HPにも「無宗教」に関するページが驚くほど増え、この「風」が、治まりそうにない社会様相を感じている。

 そんな中には「お布施」の負担割愛という経済的事情から要望されるケースもあるようだし、「流行っているから」という単純な発想も経験した。

 無宗教形式の流行で危惧していることは、「宗教者」に対する抵抗感。現在までの結果として、この問題が確実に浮上してきている。

 葬祭業者は、「おっしゃる通りに」と要望を受け入れてしまう。そんな葬儀を終えてからの遺族の心理や自社の責任なんて全く考えていない。

 弊社が加盟する日本トータライフ協会では、そんな「悲嘆」の研鑽を重視し、それらが「どうあるべきだ」と真剣に語り合っている。

 一般的な葬祭業者は、遺影を中心にした祭壇を飾れば完成と誤解しているようだが、メンバー達はそうではなく、宗教に基かない儀式とは「どうあるべきだ」というテーマに行き着いた。

 今年の初め、メンバーでない葬儀社が担当した無宗教葬儀が行われた。そんな情報を知人から得た私は、失礼だが前日の通夜の弔問者に紛れ込んだ。

 定刻の午後7時、司会者が弔問に対する簡単な謝辞を行うと、すぐに開式の宣言をした。

 「ただいまより、故****様の通夜を執り行います。ご遺族より献花をお進めください」

 本当にそれだけ。遺族が終わると弔問者。献花だけが進められた通夜。

「遺族に気の毒だ」「故人に対して失礼だ」 そんな参列者の声を期待したが、「これで終わり?」という互いの囁きしか生まれず、業者に対するクレームはなかったみたいだ。

 これらは、参列者自身が体験されていないから分からないのだろうが、もし、弊社が担当した無宗教形式に参列された体験があれば、間違いなく怒りの行動に移られるものと断言する。

 私は、無宗教形式の葬儀とは「超宗教」の葬送と考えている。神道、仏教、クリスチャンなど、それぞれの素晴らしいところをミキシングすれば「意義」も生まれるだろう。

 そんな発想から生まれた無宗教形式、それが私の「司式バージョン」であり、体感された方々から納得と賛同のお声を頂戴するに至っている。

もちろん、前日と当日のオリジナルな式次第を構築しているが、私の年齢とこれまでの経験がそうさせたのであり、重厚型と呼ばれるベテランのブライダル司会者や、局アナが同じことをされても、間違いなく「お笑い」の場と化してしまうだろう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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