2007-12-05

平和の背景に  NO 2055


 今日のNHK「その時歴史が動いた」のテーマは「戦争引揚者」のことであった。

終戦時、ソ連を中心に660万人もの人達が海外に居た事実があり、全員が帰国されるに至ったのは国交が始まってからのこと。それまでのご苦難や現地で死を迎えられた方々の存在を考えると、戦争の裏側に秘められた想像を絶する悲劇を忘れてはならないだろう。

 シベリアに抑留されていたというご近所の高齢者の方から伺ったお話だが、現地で亡くなられた人達の埋葬で絶対に忘れられないのが「凍土」だったそうで、その人数を耳にして衝撃を受けた。

一 方で、ある方から「私が亡くなったら葬儀を頼むぞ」と電話を頂戴し、女性スタッフに事前相談を担当させたらシベリアに抑留された歴史があられ、当時に患わ れた大病からずっと肺の痛みに苦しまれ、お通夜の時にご家族の皆さんが「これで、やっと痛みから解放されるね」とお話しされていたのが印象に残っている が、ご本人やご家族には、それが終戦の日だったと言えるかもしれないと考えさせられた。

 私の母の兄も軍人でシベリアから引き揚げてきた歴史があり、京都府の舞鶴港に帰国できたのは私が小学校1年生の頃だったと記憶しているが、昭和の名曲として歌い続けられている「岸壁の母」という曲を私が歌えることが出来るのは、そんな「えにし」があるからだろう。

  葬儀の仕事に従事してきた歴史、それぞれの重い人生を終えられたお年寄りの方々の葬儀をいっぱい担当させていただいたが、軍歌をはじめ戦争をモチーフにし た多くの曲を覚えて今でも記憶しているし、カラオケのない時代、お年寄りの会合に呼ばれてギターの弾き語りで軍歌や田端義男さんの「帰り船」を歌って喜ば れたこともあった。

 続いてNHKの番組だが、23時からの放送SONGSで「千の風になって」を、ご本家である「新井 満」さんが歌っておられたのを聴いたが、間違いなくクラシック歌手より「ハート」と「味」を感じ、この方のCDを持ち込まれてきた葬儀のことを思い出していた。

 ゴルフでも交流のあったレコード店のご主人の葬儀、お柩の上に置かれてあったCD、それをご持参されたのは大手書店の社長さんだったが、担当責任者と相談しながらどのように活用するべきかを話し合ったのを憶えている。

 さて、スタッフからの電話。崇高な「ご献体」をされるお方の葬儀での法要の進め方についてだが、そこに難しい問題が秘められていることを教えておいた。

 宗教者を迎えられて厳粛に行われる葬儀式。ご出棺は火葬場ではなく大学病院へ向かわれる。では、初七日や満中陰の法要はどうなるのだろうということだが、還骨という言葉の存在に誤解が生じるケースもあるようで、私のこれまでの体験を交えながら哲学を含めて伝えておいた。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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