2003-02-10

外は夕闇    NO 340

今日に担当してきた82歳のお方、スタッフが取材してきたノートには、若かりし頃の壮絶な1ページが記されていた。

 戦雲急を告げる昭和の時代に、故人は、16歳で志願兵として海軍にご入隊。日本の歴史に残る名戦艦「武蔵」「大和」にも乗船されておられた。

 波乱万丈の海軍時代、最たるものは戦艦「日向」の物語り。砲撃手として乗船された船は、ミッドウェー海戦で被弾。血の海になった砲塔の中にかろうじて生き残ったのは、故人ただ1人。それこそ九死に一生という言葉そのままに病院船に収容されたそうだ。

 そんな故人が尊敬されていたのが歴史に名高い「山本五十六」さん。病院船や入院されていた病院で声を掛けられ、「治癒したら、また、戦うか?」と訊ねられたことに対して「やります」と答えられ、握手をして励まされたことがご自慢であった。

  私は、これまでに多くのナレーションの草稿をしてきたが、「武蔵」「大和」の両艦に乗船された方や、山本五十六さんと握手をされたことを伺ったのは初め て。お好きだったという軍歌を歌っておられた故人には、お国のためにと戦った多くの戦友の戦死に対する思いもあったものと拝察している。

 さて、一方の方だが、スタッフが預かってきた思い出写真を拝見してびっくり。お若い頃にお好きだったという、昭和30年頃の名車「フォード」の前で撮影されたものがあった。

 この時代、こんな車が通っただけでも話題になったもの。それは、きっと、刻苦精励された故人の夢の実現のひとつであったのかも知れない。

 今日は、信じられないようなあたたかい日だった。遠くの式場に向かう車の中で温度計を見たら14度。帰路には18度になっていた。

 そんな天気が崩れそう。明日の葬儀は雨となるようだが、明日の式場は天気や気温の心配が全くない。広々とした静かな空間での進行となる。

 日々に葬儀を担当しながら、自身の葬儀の日に近付いていることになる。

こうしてこの「独り言」を生きた証しとしてしたためている訳だが、そんな中、日本トータライフ協会のメンバーが、また1人、コラム的なものの発信を始めることになったのでお知らせします。

 神戸の「株式会社 公詢社」の吉田社長で、ちょっと訪問したら「田中角栄さん」のことが書かれてあり、一気に読んでしまった。

 皆様も、どうぞ、ご訪問を。

 公詢社さんとは、社員を含めての懇親会が予定されているが、いつもどちらかが忙しくてなかなか実現しない。ひょっとして春の頃まで「無理かな」とも思い始めているこの頃。

 吉田社長のコラム発信は、懇親会の話題の中心になるだろうと思っている。

 さあ、これから「お通夜」に向かおう。
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