2003-02-02

悲しみと別れのプロ達よ   NO 332

それぞれの地から集まったメンバー達が、それぞれの地へ帰って行った。

 それぞれが高額な旅費を負担されて集い、そしてみんなが熱く語り合う。その論議の内容の先には、いつも我々葬祭業界の文化の向上がある。

 『人の悲しみをどのように理解するべきなのか、葬儀が誰のために行われるべきなのか』

 そんなことを真剣に話し合う葬儀社の会なんて、おそらく日本トータライフ協会しかないだろうと思っている。

 そんな彼らに「誇り」を抱く姿勢が見えてきている。葬儀社ではなく葬儀<者>という「人」になりつつあるからだ。

 自社利益を追求するビジネスの中で、自身が生きた「証し」として、何かを成し遂げようという思いが成す行動実践。それは、トータライフ協会のメンバーが共有する理念。

 それらは、今、着実に「かたち」として具現化されてきている。

 昨夜は、食べて飲んで語り合った。酔っ払う者は誰一人としていない。全員の目が燃えている。「この連中は本気だ」 今回もそう思った。

 そして、今日、彼らを私の隠れ家に迎えた。床が抜け落ちないか心配しながら階下から椅子を運び込み、司会の研修を行った。

 テーマはナレーション。音楽を変えることでアナウンスのスピードが自然に変わる体験や、ナレーターとしての心構え、式場空間の情景イメージニングテクニックも伝えた。

 それぞれがナレーターとして、とんでもない難しいナレーションにも挑戦した。

 去年の夏、北海道で個人研修したメンバーも2人いたが、かなり上達していて嬉しく思い、新しいテーマに取り組む提案をプレゼント。次に再会する時のグレードアップが楽しみなところ。

 ナレーターの研鑽は自身が実際に喋ることも大切だが、他人のトークを耳に聴くことが重要。耳に入ったイメージやイントネーションが繰り返され、いつの間にか自分の世界が開けてくるもの。

 そのプロセスで恐ろしいのが自分流の「節」。これを払拭して正常な道に戻るには大変な苦労を強いられる。

 それらを克服した時、そこに生まれるのが「味」。そこで初めてプロの入り口。

 みんなのナレーションを耳にして、心の中から滲み出る「やさしさ」を感じたし、儀式の部分とやさしさの使い分けが見事に完成していることは評価に値すること。

 若いメンバー達、それぞれの地で、大切な儀式に大切な葬儀<者>として臨まれることを願っている。

 ひとつだけ言い忘れたことがあった。原稿に難しい漢字が多くあったが、それは、創作した自身がその文字の発する意味を瞬間に察して言葉に表現したいから。その部分が「仮名」との違いなのである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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