2004-02-29

メールから   NO 715

通夜を迎える日の午後、担当責任者がお寺に位牌を届けに行った。やがて通夜が始まる前、導師から「戒名を授けてくださったのは、四天王寺の管長様」と伺った。

 管長様が故人をご存じだったらしく、遺族の皆さんがお喜びになるご仏縁となった。

 導師が着席された時、開式の辞に先立って聖徳太子の十七条憲法の1条、2条をコメントに入れさせていただいたが、「和宗」の葬儀は独特の雰囲気がある。

 さて、そんな風変わりな司会を担当している私だが、昨日、ふとメールを開けてみると、ある司会者の方から送信が入っていた。

 お名前は秘匿申し上げるが、葬儀司会のプロの誇りを感じる方。そこで我々葬祭業者の文化向上を鑑み、ここにその全文を下記させていただきます。


【  初めまして!毎日の区切りとして「独り言」を拝見させていただいております。私は派遣司会者、いえ、進行係をさせて頂いていますが、「独り言」に出会えて から自分の仕事のあり方に疑問を持ち始め、すっきりせずに毎日を不完全燃焼のまま過ごしています。「no、712」のコラムをみて、疑問そのものが記され ていました。各業者さまへ訪問するのが早くても90分から60分前です。特に情報もなく、式進行の打ち合わせで終わる毎日です。人ひとりの大切な儀式に、 どうご遺族のお気持ちに添えるように私ができることは、何なのか?模索するすべさえ持ち合わせていない状況です。昨日、父がインフルエンザから肺炎を併発 し、病院の隔離病棟に入院致しました。そのときに、すれ違った男性がどこか見覚えのある人で、後ろ姿に「はっと!」葬儀社の方でした。言葉にするとしたな らば、なぜか、悲しかった。 
大切なひとの生死の狭間で家族は心身共に疲れ、その大切な人とのお別れの時に、「葬儀」にマンネリ化した自分が映ったのです。
体が自由にならずに3本のチューブでベッドに横たわっている父をみて心が動揺し、こんな気持ちのままとても仕事には行けないし、行ってはいけないと自分に言い聞かし、しばらく休む事にいたしました。
逃げているのかも知れませんが。
平成7年、阪神大震災、そしてオウム事件の年に、大好きな母が亡くなり、2ヶ月後私は長年勤務していた会社を退社。その後、心が少しずつ癒え始めた頃に「母の葬儀」を思い出していると、意外と何も覚えていなくて、この世に全く知らない世界があるんだと痛感しました。
その後「縁」があり、この世界に入り早8年を過ごしています。そして今日「オウム事件」にひとつの区切りがつきました。
前に一歩進む努力を惜しまずに、今度伺ったご葬家では、ご遺影に語りかけてみたいと思っております。「独り言」は、私の心の指針です。
今後も末長くよろしくお願い申し上げます。
たわいのないメールで申し訳ございませんでした】

 お父様のご病状の快方を心から祈念申し上げながら、同じ「司会」のえにしに結ばれる方。落ち着かれてから、よければ私の「隠れ家」でお会い出来ればと願っております。

 メール、誠に有り難うございました・・・・・・・・合 掌

 結びに、これもご仏縁だが、昨日から明日まで開催されている「心のフェスタin四天王寺」に行ってきた。

 様々な宗派の管長様の墨蹟を拝見しながら「筆」という素晴らしい文化に浸り、大阪府仏教会、大阪市仏教会の役員さん達とお会いしたが、事務局長さんから「昨日、火葬場で見掛けたよ」と言われ、気付かなかった失礼を詫びることになった。
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