2004-05-21

問 答   NO 798

今日、敬愛する北国の知人からメールを頂戴した。

 <すぐに返信を>と思いながら浮かんだのが、弊社が加盟する日本トータライフ協会のメンバー達。

 もうすぐ開催される研修会のことも去来しながら、私の好きな「やりとり」の一文を書いて返信した。

 やりとりとは「禅宗」に関すること。愛知県に在するメンバー「株式会社 チタソー」の社長は、禅宗の僧籍を持しておられるが、発信されるコラム「日々報恩」に何度か私のことを書いてくださっている。

そんなところから思い浮かんだのだが、彼は、厳しい修行で知られる永平寺でも学ばれた人物。卒論のテーマが「日本仏教における葬送習俗」で、是非拝読したいと思っているが、上述の一文とは曹洞宗の開祖「道元禅師」が中国で修行された時代の逸話である。

 それは、道元禅師が書物を読まれていた時、中国の僧から問い掛けられて始まった問答。

 「語録を読まれて何になりますか?」
 「古人の生き方を学びたいのです」
 「それが何になるのですか?」
 「日本に帰って人を導きたいのです」
 「それが何になるのですか?」
 「人々のためです」 
 「それが何になるのです?」

 そこで道元禅師は詰まってしまったそうだが、その後、『語録を読んで知識を増やすことよりも、自身がどのように今を生きるかをはっきりさせる方が重要なことだと言いたかったのかも』と考えられたそうだ。

 道元禅師は、私の現在の齢よりも3歳若い54歳で涅槃寂静されているが、日本の仏教で開祖と称される方々の伝記を拝読すると、いつも自身が情けなくなってきてしまう。

 そうそう、冒頭のメール返信だが、つい「愚痴っぽい」ことを書いてしまって反省している。

 2時間ほど前、返信に対するメールを受信。開けて見ると慰めと励ましのお言葉が。そのタイトルが「法燈明」

 その文字を目に「反省」が「猛省」にグレードアップ。

身震いを武者震いに「転化」させ、明日からの日々に活かす「点火」のきっかけとしなければ・・・・有り難う。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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